映画『ヤクザと家族 The Family』を観た

※当然ネタバレを含みます。


動機

この映画を観た動機は、やっぱり綾野剛さんと舘ひろしさんっていう組み合わせ。あと、割とレビューサイト等の点数高いものって、ある側面の正しさを持っていると思っているタイプなので、4点越えしている作品は見ておきたいなというのはあって。
舘ひろし=あぶない刑事で生きてきたので、おお、反社の親分か、っていう。

あらすじ

薬物中毒で父親を亡くし、グレているのにヤクザにはならないと言い張っていた山本(綾野剛)が、柴咲組組長・柴咲博(舘ひろし)に助けられ、父子の契りを結び、ヤクザの世界に足を踏み入れる。そんな彼の19歳からの20年間の話。

公式HP<https://www.yakuzatokazoku.com/>
1999年、2005年、2019年−−。
3つの時代で見つめる、一人の男とその【家族・ファミリー】の壮大な物語。

感想(当然ネタバレ込み)

ヤクザと呼ばれる人たちに対して、家族というテーマをもって、作品が作られていること、しかもこの時代に作るって、チャレンジだよなぁ。
暴力シーンは多いし、血はめちゃめちゃ流れるし、キャストはたしかに豪華だけど、番宣番組もたくさん見たけど、興行を考えるとライトな映画好き層に引っかかるのか?みたいな、一観客が考える必要がないことまで考えてしまった。
1999年からの20年は、確かに変化の多い時代だったよなと、この映画を観て、改めて感じた。私自身としても、親の庇護のもとでの生活~援助を受けての一人暮らし~自立という時代で、学生~夢追い~社会人であり、地元~関西~関東~地元だったことで、より感じるというのもありながら。

人は、一人では生きられない。こればっかりは、どんなに時代が変わっても、やはり真実で、コロナも含めて今の時代だからこそ、余計に感じたのが一番。その中の、職場とか、場所に付随して担保されていた関わりってどうなったんだろう、それを失ってしまった人は、どうやって新たな場所や関わりを見つけるんだろう。この状況が終わって、普通に人と会える時が来たら、それまでと関係性って変わるのだろうか。14年の刑期を終えて世の中に放たれて、時代の変化にある種翻弄される山本を観ながら、そんなことを思った。
自分の居場所って、自分で選んでいるようで、そうではないんだなと。この物語において19歳の山本には、柴咲に拾われる以外、もう他に生きるすべがないように思われる。そこで生きるためには、こうするしかなかったのだなと、納得させられる。

俳優さんたちはもう全員、熱演ってこういうことだと。スクリーンからの圧が、描写も相まって痛いくらいだ。
一番ぐっと来たのは、ラスト、翼が山本の娘に、「少し話そう」というところ。山本に影響を受けて、世にいう反グレのような生き方をしている翼と、山本のせいで辛い思いをし、平穏な生活を侵され、父親に対して複雑な感情を抱いているはずの娘が、それでも山本を覚えておきたい、自分の知らない彼を、彼が死んでからも知ろうとするというのは、本当に最後の最後にある希望に見えて、胸が詰まる思いだった。

印象的だった描写と私自身の思い出

印象的だったのは、たばこの使い方。実際の変遷でもあると思う。私の記憶の中ではなので間違っているかもしれないけれど、逮捕前、かなり多くの喫煙シーンがあるが、山本は出所後に1度しかタバコを吸わないし、咳込む。翼はタバコを吸っていなかったと思うし、マルボウの刑事は電子タバコを吸う。
私が喫煙者だった(何とか禁煙1年継続中)というのもあって、紙タバコから電子タバコへの移行も経験したし、たばこの値上がりはえげつなかったし、実際、たばこを吸えるところは減っていったのも、身をもって感じた。飲食店での喫煙が難しくなったのが、禁煙の要因でもあるし。

もう少し自身の話をすると、ほぼこの時代の少し後、2005年ごろから、新宿歌舞伎町(割と高級な飲食店。お姉さんのいる店ではない。)でアルバイトをしていたので、反社の方とマルボウの方をそうと知って目にした量は、世の中の上位10%に入るだろうなと思う。
というのもあって、出所後の食事会にある豆腐に思いを馳せたり、普通の人にはヤクザとマルボウは正直区別がほぼつかないし(指がなければ別)、実際予想できるまでに2年くらいかかった事実とか、ちょっとズレた思い出がたくさんよみがえってきて、勝手になつかしさを感じたので、多分人よりもこの映画を楽しんだとは思う。


HP確認したら、どう考えても私の好み

観終わってから、このnoteを書くにあたってHPを観たのだが、『新聞記者』の監督なのかと。気づいていなかった自分を殴ってやりたい気持ちになったよね。

映画を含めたエンタテインメントへの関わりが、関心が、やはり住む場所が変わったことで、確実に減っているのを実感した。好きだった映画の監督を忘れるなんて、5年前の私ならありえないくらいのことだったし、過去作品掘り返すくらいのことをしていたから。
それでも、この映画を映画館で見られたから、よし。映画館で見られて、本当に良かった。

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