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親爺備忘録

5月22日に父親の葬儀を行いました。享年71歳、膵臓癌です。平均寿命からしてまだまだ若いと思いますが、長ければいいというものでもないので、それが父の蝋燭の長さだったんだなと受け取っています。

多少は食生活が寿命を短くしたのではないかと疑っています。父は菓子パンが好きで、3度の飯を食べず、1日に数個しか菓子パンを食べない日も多くありました。体質は元々痩せ型でしたが、晩年はいつもカロリーが足りていないように見えました。

食にこだわりがあり、食べることが大好きな人でした。ジェノベーゼのパスタは必ず松の実を使ってすりこぎでペーストにし、ピザはローマ風の薄い生地を麺棒で伸ばしていました。今でも、その光景がたまに蘇ります。

特に好きだったのは、父が作る天ぷらそばでした。子どもの頃、僕ら家族は週の半分ほど山暮らしをしていて、春になると父がたまに天ぷらそばを作ってくれました。柿の新芽、たらの芽、うど、ユキノシタなどを摘んですぐ衣に通して、焚き火をおこした油でさっと揚げ、そばと一緒に食べるのがこの上なく美味しかったです。

自分の誕生日にリクエストする料理は毎年メキシカンブリトーでした。我が家のブリトーのこだわりはいくつかありました。まず自家製サルサ。生の青唐辛子、トマト、パクチーを刻んだソースで、これが味の決め手です。それから、玉ねぎとカリオカ豆を煮たフェジョン。トルティーヤは何でもいいのですが、フライパンでチーズを乗せて軽く焼いてとろけさせます。これらをステーキ肉やレタス、アボカド、サワークリームなどと一緒に包んで手で持って食べます。太巻きぐらいのサイズ感です。色んなものを混ぜすぎだと言う人もいますが、このひと口ひと口が味のカーニバルで、僕や妹たちは幸福に踊りました。

父が亡くなったという話から逸れていますが、僕が父と共有していちばん楽しかった時間は、一緒に美味しいものを食べる時間だったということが今になってよく分かります。

そして父は、話が長い人でした。1時間どころではなく、僕が頷いていると、2時間も3時間も話を続けました。世の中の父と息子のコミュニケーションで、僕ほど父の話をじっと聞いた息子は少ないと思います。おかげで僕は話し下手になりました。

長時間父の話に耳を傾けられたのは、父の話がいつも自分が考えたこともないような未来を話す人だったからです。父は一日ごろごろしてテレビしか見ていないのに、どうしてそんな知的好奇心を掻き立てるようなストーリーに変えて話せるのだろうと今もって不思議な技です。

父は自宅葬で見送りました。遠方の友人も多く、時間的な制約がある葬儀場より、何時に来てもいいですよ、といった形式の方が良いと思って最後の住処となったマンションの2階で行いました。午前には友人のお坊さんにお経を読んでもらい、午後はインディアンの思想と哲学を父と共に学んだ友人が歌を歌って見送ってくれました。

自宅葬を提案してくれたのは吉良町が本社の公益社でした。すばらしい葬儀屋さんだったので、皆さん葬儀で悩まれたら一度相談してみてください。

PS
写真は妹の結婚パーティーで2人して歌った日です。

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