正義と悪の程度問題

 「人間、悪よりも正義を振るう時のほうが残酷で恐ろしい論」は分かるのですが、あまりにその言説が多くなりすぎてエコーチェンバーを起こし、それを恐れすぎるがあまり「やるときはやる」ができなくなっているように感じる。

暴漢に向けて銃を構えたが怖くて撃てずに殉職する刑事のような。
一種のトーンポリシングの効果を発揮していると言えるでしょう。

何言ってもブーメランになるからなんも言えなくなるしできなくなる。

それはそれ。これはこれ。別の案件なんだから話をそらすな。
「いま私AがBに対し苦言を呈しているのであって、私Aの話はしていない」
そう自分の中でも他人の中でも分別ができればいいのに。できないから難しい。
人は誰しも「自分のことを棚にあげやがって」と、話をそらす。論点をずらす。

ブーメランになるから何も正義の言動の行動に出る事ができないと考えるのはゲーム理論なのだろうか。

自分が†正義を執行†しても、誰かが「お前に言われたくない」「自分を棚に上げている」「酔っている」「残虐だ」などという攻撃をしてくることが予想されるので行動に出ない。これがナッシュ均衡ですか?

正義のナッシュ均衡に負けて「やるときはやる」ができなくなってしまうのは、臆病か未必の故意か事なかれ主義か。世間体か、全体主義か、ムラ社会か。