おせっかいが排除された世の中の新しいトレードオフ
前々からうすうす感じているのですが、マンスプレイニングとかアドバイスおじさん、説教おじさんとか、非難して叩くムーブメントじゃないですか。それって、同時に、迷惑でない有益なアドバイスの機会をも排除してしまっているのですけども。社会の公益を考えたときにプラスマイナス合計でどっちに傾くんだろうなあ。って思うんですよね。トータルでプラスに傾くのならそれでいいのかも知れない。
悪い細胞を倒すためのはずの免疫が、良い細胞をも倒しちゃってる自己免疫疾患のような。そのことに自覚があるのでしょうか・・・。注意喚起は、一番聞かせなければならない人には届かず、聞かせなくてもわかってる人に届く。みたいな謂れがありますよね。
言わなくてもわかる人
言えばわかる人
言ってもわからない人
そもそも聞いてないしわかりもしない人
おせっかいには、迷惑もあるし有益もある。孤立しづらい。それがない世の中は、迷惑は減るでしょうけども、有益な情報が得られる機会も減り、誤りが訂正・是正されづらく、孤立しやすくなる。
おせっかいがある世の中にもトレードオフはあるし、
おせっかいが無い世の中にもトレードオフはある。
なのだけども、おせっかいを非難する人は「おせっかいが無い世の中には良いことしかない」かのように思っているように見えるのですが。
僭越ながら、自分が言うてた通りの問題が起きて「ほれみたことか」ってなることもありますからね・・。実際。それは誰しも経験があると思うんですよ、「これって真面目に突っ込むと〇〇だよね、でもまあ。迷惑だのおせっかいだの言われると面倒だから黙っておこう」→「その通りになった」
口に出せばおせっかい。
口に出さねば未必の故意。
引くも地獄、引かぬも地獄。