「夢と現で廃墟を想う」第12話:発想

12.発想

 「内容の詳細と予算、それからスケジュールと実施体制、これで貴社の企画書は完成だね」
 紺のスーツを着込んだ初老の男が書類に落としていた目を正面に向け、落ち着いた口調で言葉を発した。革張りの黒のソファーに深く腰掛けた男の顔には、幾分の笑みも見て取れる。
 「はい、秋山専務」
 声を発したのは、こちらもスーツ姿の原澤だ。ネクタイもきっちりと締めている。秋山の穏やかな表情と同様に原澤もまたリラックスした面持ちであるが、その隣に座っているやはりスーツ姿の石和の表情はやや強張っている。
 都内某所、オフィスの応接室である。重厚な大理石のテーブルを挟み、秋山の正面に原澤がソファーに浅く座っている。石和は原澤の左隣、石和の正面には秋山の部下が座り、四名が顔を突き合わせて商談を行っているという状況だ。

 「じゃあ、君、こちらのプロジェクトも準備に取り掛かってくれるか。お二人としっかり連携を取りながらね」
 秋山が隣に座っていた部下に書類を手渡して一声掛けると、承知いたしましたと軽く頭を下げて席を立った。部下が原澤と石和にも一礼をしたので、原澤は着席のまま頭を下げたが、石和はその場で立ち上がり深々とお辞儀をした。
 「よっ、よろしくお願いいたします」
 膝におでこが着くのではないかというような深いお辞儀に、原澤は苦笑いしている。
 「お任せください。企画書の電子データは、後で私宛にメールで送っておいてください」
 男は軽く微笑んで、静かに退室した。

 「原澤さん、石和さん」
 部下の退室の後に少しの間を置いて、秋山が静かに話し始めた。
 原澤は男を見送るために少し斜めにしていた身体を秋山に向け、石和は静かに着席して同じく秋山に身体を向けた。
 「今回のプロジェクトは、我が社の・・・・・・いや、我が社に限らず日本社会とっての重大事で、私達の未来の姿を具現化する一大イベントです」
 先程までの笑顔は消えて、真剣そのものの表情になっていた。
 「はい」
 原澤が少し押し殺した声で言葉を返したが、石和は口を真一文字に結んだまま顎を引いて頷いただけだった。
 「まあ、そのことはもう何度も話をしましたから、ご理解いただいていると思いますが、現代社会の閉塞感を打破し、新たなる時代の幕開けの一役を担うことになる我が社としても社運をかけて臨む決意です。お二人にかかわっていただくのは、そのオープニングイベントとして国民の関心を一気に引き付けるものでなければなりませんし、プロジェクト成功の鍵を握っていると言っても過言ではありません」
 「はい」
 今度は石和も声を絞り出した。
 「はっはっはっ」
 二人の様子を見て秋山が声を出して笑った。柔和な表情に戻っている。
「いや、失礼。貴方たちにも責任を押し付けようということではありません。大丈夫、十分に技術検証も重ねましたし、私たちは成功を確信していますよ。まずは九州。我が社が起業し本社を構える長崎を皮切りに、国や自治体、多くの企業と連携しながらゆくゆくは日本全土の仕組みを大きく変えていく・・・・・・私たちの思いは壮大です」
 改めてことの重要性を説きながらではあるが、二人の緊張を和らげるように秋山は優しく言葉をつづけた。
 「期待していますよ」
 「はい、誠心誠意、心してことにあたります」
 原澤が力強く返事をした。
 石和は声を発しなかったが、隣で力強くうなずいてみせた。

 「いよいよだな」
 秋山と数名の部下たちの見送りを受けた後、オフィスビルを背に歩きながら原澤が隣の石和に声を掛けた。
 「はい・・・・・・うまくいきますかね」
 石和が不安げに声を発した。
 「おっと、どうした。また不安が頭をもたげたか。さっきは秋山専務に力強く頷いてみせていたじゃないか」
 「そうなんですけど・・・・・・自分のアイデアがこんな大きなプロジェクトのオープニングイベントとして採用されるなんて夢にも思いませんでしたし、考えれば考えるほど不安になっちゃって・・・・・・」
 「まぁな、確かに分からないでもないけど、なにもお前ひとりだけでやるわけではないし、我が社だって、精鋭を集めて体制を組むわけだから。まぁ、みんなでがんばろうや」
 「ありがとうございます。ここまで来られたのも原澤さんのおかげです。私のアイデアがこんなレベルまで持ち上げられたのは原澤さんのご尽力がなければ絶対に叶いませんでした。本当に感謝しています」
 石和は立ち止まって深々と頭をさげてみせた。
 「よせよ、こんなところで・・・・・・」
 ちょっとばつが悪そうに、原澤が石和を制した。

 「今開発を請け負っている大規模システムの対外的な発表イベントを、発注元の企業が計画していることを耳にして、お前のアイデアを少しアレンジして提案してみたら、あれよあれよという間に話が進んじゃったって感じでさ・・・・・・運が良かったっていうか、何か見えない力に導かれているっていう感じだったよ」
 「いえ、やはり原澤さんのお力かと」
 「もういいってば・・・・・・」
 「でも、今回のアイデアをまとめるにあたっては、原澤さんだけでなく、文木さんや早良君にも色々とアドバイスをもらって、みなさんには本当に感謝しているんです」
 「文木さんといえば、一時のドタバタを乗り切ってからというもの、今は軍艦島の事に関するカリスマブロガー的な存在になっているみたいだな」

 原澤がいうドタバタが起きたのは、遡ること二年前のことになる。石和達との軍艦島上陸を果たした後、文木と早良が計画通りに過去と未来をテーマにしたブログへ沢山の写真とコメントを掲載し始めたところ・・・・・・。
 「許可は得たのか」
 「不法に上陸して勝手に島内部の写真を撮影するのはいかがなものか。常識を疑いますね」
 「いい大人が平気でマナー違反して自慢話をしている。そんなことが許されるなら俺たちも上陸しようぜ」などと、沢山のバッシングを受けたことだった。
 テレビ局の取材に同行したのだといっても、証明するものもなく、頼みの綱の美和のどかは上陸以降音信不通とあっては何を言っても言い訳と捉えられそうで、更に火に油を注ぐ結果を想像して一時期は二人とも相当に悩んでいた。原澤や石和にも何度も相談があったが妙案があるわけでもなく、四人一緒に頭を抱えていたのだった。

 ところがそんな時、一つの書き込みが炎上を沈静化させることになる。

 「許可なしの内部撮影ならマナー違反のそしりはま逃れないですね。しかし、不謹慎かもしれませんが、私は写真の美しさ、迫力に感銘を受けています。皆さん、すごく綺麗で素敵な写真だと思いませんか? そして真剣なコメント。興味半分ではなく、本当に軍艦島への愛情を感じます。それから過去と未来世界の投げかけをありがとう。私はとても興味深くブログを拝見しています」
 その書き込みをきっかけに不思議とクレームは沈静化に向かい、皆の関心は写真の美しさに移っていったのだった。長年培った廃墟撮影のテクニックが窮地を救ったというわけだ。
 「俺たちも上陸しようぜ」と毒づいた輩も炎上を面白がっての便乗者がほとんどで、鎮火したブログに興味はないと潮が引くように去っていったのだった。

 「早良君の方は、軍艦島にみる未来世界のシュールな描写やコメントが受けていて、こちらも文木さんの過去世界に負けず劣らずの人気となっている様だし、今や運営するブログは大人気で、二人はネット世界のインフルエンサーってやつですよ」
 「そっちの方も、熱烈なフアンだという女性の書き込みから人気に火が付いたんだよな」
 「そうなんです。文木さんは、今でも書き込みをしてくれたのはどちらも美和さんだって信じているみたいですけど」
 石和が少し呆れた表情でつぶやいた。
 「まだ信じたいっていうのか? 大した恋心だな」
 原澤も呆れて声を出し、そして続けて話をした。

 「美和さんのことは、あの一件があって、もう考えるのは止めようってことで落ち着いたはずなんだけどな」
 あの一件とは、上陸を果たした一年ほど後に起きたことだ。五十年に一度といわれた猛烈な台風の直撃を受けた軍艦島では、島の象徴ともいえる校舎が倒壊の危険に見舞われているということで、後日その惨状をレポートする地元長崎のテレビ局が島に入ったのだが・・・・・・。

 「あれって、美和さんじゃないですか」
 いつもの居酒屋で、いつものように四人仲良く酒を酌み交わしながら盛り上がっていたところに、店の壁に取り付けられた小さなテレビから軍艦島の危機を伝えるニュースが流れ始めたので四人で食い入るように画面をみていたのだが、その時、早良が声を上げたのだった。
 「ほんとだ、ありゃ美和さんだ」
 「ええ、間違いないですね」
 四人で顔を見合わせた。

 一年ぶりに見る、テレビ画面の中の美和がマイクを片手にレポートする。
「五十年に一度と言われた先日の大型台風の直撃をうけた軍艦島に上陸しました。台風一過、今日は青空が広がり、大変良い天気になっております。私は生まれも育ちも長崎ですが、今日初めてこの軍艦島に上陸しました。聞きしに勝るとは言いますが、この圧倒的な島の様子に深い歴史と不思議な未来を感じ、言葉にできない感動を受けています。しかし、私の目の前に立っているあの校舎ですが、もしまた大型台風や地震が直撃すれば、倒壊してもおかしくない危機的状況であるという専門家の調査結果がでたそうです。その他の建造物につきましても、危険な状況にあることに変わりがないらしく、世界文化遺産である軍艦島の危機が迫っていているということになれば、世界的な関心事になりそうです。私達はこの惨状にどう向き合うべきなのか、急ぎ対応を迫られています・・・・・・以上、現場からお伝えしました」

 「ん、今、初めて上陸したっていったか?」
 「言いましたね」
 「言ったよな」
 「どういうことだ?」
 「さあ・・・・・・」

 文木、早良、原澤が、困惑の表情で顔を見合わせながら、それ以上の言葉を見つけられずに押し黙ってしまっていた。
 石和も三人に調子を合わせはしたが、実際はあの日の不思議は出来事に関して自分の中で折り合いをつけていた。
(あれは美和さんであって、美和さんじゃなかった。それは確かだ)
(自分が見た不思議な世界は、自分の心にある色々な思いが、あの特別な環境の中で覚醒された脳に夢を見させたのかも知れない。でも、美和さんは確かに存在していた)
(じゃあ、なんだ。何が自分に話しかけ、不思議な映像を見せたのか・・・・・・いや、よそう。それが何であったかなんて考えても答えがでるわけがない。出ない答えを考えても仕方がない。非現実的なことが起こったのだとしても、受け入れることはできるじゃないか)

 「怖っ」
 早良が声を出した。
 「そ、そうだな」
 文木が息を飲んで応えた。
 「もう、深く考えない方が良いですかね」
 原澤が神妙な面持ちで声を絞り出した。
 「そうですね。考えるのは止めにしましょう」
 最後に石和が意見を口にし、そして更に続けて言った。
 「なんとも腑に落ちない不思議なことが起きたのは事実ですが、美和さん本人と連絡は取れないことには事実を突き止めることは難しいですし、そうかと言ってテレビに映っているあの美和さんに連絡を取って確認するのはどうも止めた方が良さそうです」
 そう言って、この不思議な出来事への思考を停止するように誘った。
 「うん、ちょっとオカルトチックな話だけど、あまり得意なジャンルでもないしな。深く追及するのは止めておこう、背筋がぞくぞくするよ。不思議なこともあるものだと我々の思い出として胸の奥にしまい込んでおくことにしよう」
 最後は文木が会話を締めたのだった。

 「考えるのはよそうと話はまとまったけど、でも不思議な話だったよな・・・・・・いや、止めよう。あの時そう決めたのだから」
 歩きながら、原澤が改めて思いを口にした。
 「そうですね。もう止めておきましょう」
 そう言った石和の口元は少し緩んでいた。
 「そんなことより仕事だ。会社に戻って、正式決定をメンバーに伝えなきゃな」
 「はい、そうですね」
 「忙しくなるぞ、覚悟をしておけよ」
 「はいっ」

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