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花山法皇ゆかりの地をゆく

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平安時代を生きた花山法皇ゆかりの地を実際に訪れる紀行文です。 花山法皇は平安時代中期の第65代天皇で、986年に藤原兼家(藤原道長の父)の陰謀で発生した寛和の変により、わずか2年…
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#旅行記

花山法皇ゆかりの地をゆく⑥〜熊野古道、熊野三山 後編〜

前編からの続きです。 2024年1月20日土曜日の14時30分、私は熊野速玉大社の駐車場を出て、雨の新宮市街地で車を走らせていた。 次の目的地は青岸渡寺である。 青岸渡寺は熊野那智大社と那智の滝が併設されており、おそらく多くの観光客にとっても熊野や南紀観光の主要な訪問地となるだろう。 花山法皇においては那智の滝で千日行、つまり三年弱は青岸渡寺で修行をして暮らしたのだから、花山法皇のゆかりの地を訪れる私にとっても重要な訪問地だ。 しかし、新宮の市街地を出て那智勝浦新宮道に

花山法皇ゆかりの地をゆく⑨〜那谷寺編〜

学校の授業では、歴史も古文も大嫌いだったが、花山法皇のゆかりの地をめぐるようになって、花山法皇についての資料も多少は読むようになった。 現存する花山法皇について記した一次的な資料は、「小右記」「大鏡」「栄華物語」程度のもので、それらを研究した論文として代表的なのは今井源衛の「花山院研究」があるが、これらの資料が描く花山法皇は、女たらしの好色、いたずら好きの奇人、でも芸術関連での才能はあった、程度の人物像しか見えてこない。 花山法皇がモデルの現代小説として、三島由紀夫の「花山

花山法皇ゆかりの地をゆく⑪〜大入集落跡、笠置山 前編〜

誰に頼まれているわけでもないのだが、一人で勝手に花山法皇にゆかりのある場所を旅していると、どうしても花山法皇の生涯がどのようなものであったのかについての興味が湧いてくる。 とはいえ、興味は湧いたものの、1000年以上も過去の人であるから客観的で公式とされるような記録は残っていないのに加えて、歴史上においても藤原道長や紫式部のようなその当時の主役のような人物ではなく、負け役のわき役のような人であったから、断片のような情報しか残っていない。 それでも、花山法皇のゆかりが残る地を