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花山法皇ゆかりの地をゆく

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平安時代を生きた花山法皇ゆかりの地を実際に訪れる紀行文です。 花山法皇は平安時代中期の第65代天皇で、986年に藤原兼家(藤原道長の父)の陰謀で発生した寛和の変により、わずか2年…
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#平安時代

花山法皇ゆかりの地をまとめた(西国三十三所を除く)

花山法皇については西国三十三所の中興の祖として知られ、三十三所の各寺には花山法皇が詠んだとされる御詠歌が残されているが、花山法皇が地方巡行に訪れたのは三十三所の寺院ばかりではないようだ。 考えてみれば当たり前で、法皇が地方に出向くとなれば律令制当時の各地の国司が出迎えることになるだろうし、そうとなればその国の最高建築であった国分寺と国分尼寺の参拝は欠かさなかっただろう。また、花山法皇が長徳の変後の十数年を暮らした花山院菩提寺は御幸中に訪れて気に入った場所であったというのだか

花山法皇ゆかりの地をゆく①〜花山院菩提寺、紙屋川上陵編〜

今、花山法皇が俺の中だけで熱い。 きっかけは、大鏡でも栄花物語でも拾遺和歌集でもなく、そういった古典がきっかけならば知的かつ風流で格好良かったのかもしれないけど、高校生活をサボった私は古典も日本史もさっぱりだった。 正直に告白をすれば、数年前のネットで花山法皇がバズったのが原因だ。 その時から、バズった中で話題に挙がった花山院菩提寺だけはいつか行っておきたいと思っていたところで、例のコロナ禍で頓挫していた。 そのまま、すっかり忘れていたが、先の11月連休の前々日の2023年

花山法皇ゆかりの地をゆく②〜阿伏兎観音、山口県編〜

前から何となく訪れたいと思ってはいるけど、実際には行かずにそのままにしている場所というものを、皆さんはお持ちではないだろうか。 私の場合、広島県福山市と山口県美祢市がそれであった。 広島県福山市は、学生時代に知って気に入ったある楽曲の歌詞が福山市を舞台としたであろうと、後年になってその楽曲の作詞者のプライベートの報道記事や発表内容から、勝手に推測していた。しかし、実際の歌詞に具体的な地名が入っているわけでもなければ、公式で作詞者ご本人がこの楽曲についてより詳しい情報を発信し

花山法皇ゆかりの地をゆく③〜元慶寺、比叡山延暦寺、書写山圓教寺編〜

旅と称して花山法皇のゆかりの地をストーカーのように追っていて、その旅行記を二度、note記事に書いて公開してきた。振り返ると、これまでの旅は行先の決め方を、あまりにも思い付きの気が向くままの行き当たりばったりであったと自省するようになった。 誰に批判される謂れのない、きわめて個人的な旅行なのだから、自分の思うように好きな時に好きな場所へ行けばよいのだが、歴史上の場所を尋ねる際には、事前に歴史を十分に調べて時系列に沿って訪れないと、現場を見ても大事な点を見落としてしてしまい、的

花山法皇ゆかりの地をゆく④〜谷汲山華厳寺編〜

今回でこの「花山法皇ゆかりの地をゆく」シリーズ、略して花山法皇シリーズは4回目となる。 本来であれば、次の花山法皇シリーズは1月の後半に宿を予約しているので、もう少し後になる予定であった。 そのような予定であったのだが、ふと思うところがあった。 note記事に限らず、ブログやYouTube動画にせよ、個人がネット上で公開しているシリーズものというのは、4回以上で作者に継続の意思ありと見え、8回以上で連続ものとして閲覧する価値が出てきて、20回以上で連続作成された作者の経験