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花山法皇ゆかりの地をゆく

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平安時代を生きた花山法皇ゆかりの地を実際に訪れる紀行文です。 花山法皇は平安時代中期の第65代天皇で、986年に藤原兼家(藤原道長の父)の陰謀で発生した寛和の変により、わずか2年…
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#国内旅行

花山法皇ゆかりの地をゆく④〜谷汲山華厳寺編〜

今回でこの「花山法皇ゆかりの地をゆく」シリーズ、略して花山法皇シリーズは4回目となる。 本来であれば、次の花山法皇シリーズは1月の後半に宿を予約しているので、もう少し後になる予定であった。 そのような予定であったのだが、ふと思うところがあった。 note記事に限らず、ブログやYouTube動画にせよ、個人がネット上で公開しているシリーズものというのは、4回以上で作者に継続の意思ありと見え、8回以上で連続ものとして閲覧する価値が出てきて、20回以上で連続作成された作者の経験

花山法皇ゆかりの地をゆく⑥〜熊野古道、熊野三山 後編〜

前編からの続きです。 2024年1月20日土曜日の14時30分、私は熊野速玉大社の駐車場を出て、雨の新宮市街地で車を走らせていた。 次の目的地は青岸渡寺である。 青岸渡寺は熊野那智大社と那智の滝が併設されており、おそらく多くの観光客にとっても熊野や南紀観光の主要な訪問地となるだろう。 花山法皇においては那智の滝で千日行、つまり三年弱は青岸渡寺で修行をして暮らしたのだから、花山法皇のゆかりの地を訪れる私にとっても重要な訪問地だ。 しかし、新宮の市街地を出て那智勝浦新宮道に

花山法皇ゆかりの地をゆく⑦〜鳥取市、高梁市 前編〜

鳥取へ2024年2月10日の土曜日、歯医者の定期検診を終えた私は、品川駅10時28発のぞみ131号に乗車した。 三連休の初日ということもあり、2,3分おきにのぞみ号は運行されているにもかかわらず新幹線は満席との車内放送があった。 品川駅では三列シートの私の横二席は空席であったが、横浜駅で私と同じ年齢程度と思われる母親と成人していると思われる男性の親子が座って来て、二人で仲良く二つの弁当を食べ合っていた。仲良くというのは少し語弊があったかもしれない。母親の方は妙に息子に甘えて

花山法皇ゆかりの地をゆく⑧〜鳥取市、高梁市 後編〜

前編からの続き 因美線と津山城今回の旅は、花山法皇ゆかりの寺社を訪ねるだけではなく、鳥取市の覚王寺から高梁市の八幡神社や深耕寺のある神原地域までを歩いた想定で、その軌跡をたどる旅のつもりでもあった。 したがって、東郡家駅から智頭駅まで乗ってきた因美線もその目的の一つだったわけだが、前日にスーパーはくと号で通過をしていたためか、今日はいまいち気分が乗らないまま通り過ぎてしまった。 しかし、これから乗車する智頭駅から南側の、私にとって初見である上に、全通前に言われていたところ

花山法皇ゆかりの地をゆく⑨〜那谷寺編〜

学校の授業では、歴史も古文も大嫌いだったが、花山法皇のゆかりの地をめぐるようになって、花山法皇についての資料も多少は読むようになった。 現存する花山法皇について記した一次的な資料は、「小右記」「大鏡」「栄華物語」程度のもので、それらを研究した論文として代表的なのは今井源衛の「花山院研究」があるが、これらの資料が描く花山法皇は、女たらしの好色、いたずら好きの奇人、でも芸術関連での才能はあった、程度の人物像しか見えてこない。 花山法皇がモデルの現代小説として、三島由紀夫の「花山

花山法皇ゆかりの地をゆく⑩〜高知鳴瀧八幡宮編〜

昨日は足利直冬の紀伊南朝軍征伐の軌跡を追い、雨の中を山中にある城跡を訪ねて、和歌山市内のビジネスホテルに泊まった。 今回の旅では、直冬の旅を昨日で終え、今日からは花山法皇の旅に切り替えて和歌山から高知を目指す。 これはいわゆるコラボレーション企画旅であるが、自分の中だけでそんなことを言っても、こっぱずかしくて白けてしまう。 和歌山から高知へ2024年3月24日、日曜日の7時50分、昨晩泊まったホテルから20分近く歩いて昨日下車した南海電鉄の(JRもあるけれど)和歌山市駅ま

花山法皇ゆかりの地をゆく⑪〜大入集落跡、笠置山 前編〜

誰に頼まれているわけでもないのだが、一人で勝手に花山法皇にゆかりのある場所を旅していると、どうしても花山法皇の生涯がどのようなものであったのかについての興味が湧いてくる。 とはいえ、興味は湧いたものの、1000年以上も過去の人であるから客観的で公式とされるような記録は残っていないのに加えて、歴史上においても藤原道長や紫式部のようなその当時の主役のような人物ではなく、負け役のわき役のような人であったから、断片のような情報しか残っていない。 それでも、花山法皇のゆかりが残る地を

花山法皇ゆかりの地をゆく⑫〜大入集落跡、笠置山 後編〜

(前編からの続き) 設楽山荘2024年5月3日15時15分、本日の宿泊地である設楽山荘に到着した。 国道257号沿いに設楽山荘の看板はなかったが、国道の横を流れる名倉川の小さな橋を渡り、森の中を進むとすぐに設楽山荘は見つかった。 設楽山荘は山あいの静かな民宿と言いたいところだが、国道の方からはたまにバイクの排気音が聞こえる。私もバイクに乗っているから、文句は言えないのだが。 玄関を開けると女将さんと思われる女性の方が現れて、私が名前を名乗ると、向こうも私の訪問は把握済