#53 息を吸うこと、シャッターを切ること。写真を撮る時に考えていること | 古性のちの頭の中
始まりは前回のエッセーで載せていた写真のafterから。
こんな感じで仕上がりました。
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伊佐さんのお子が無事に生まれて(というか本人はまだSNS内に報告してないかもしれない。ここが一番手になって大丈夫なのかあとで確認しよう)ほっとしています。
夜中に「ねえねえ破水した」なんてLINEをもらう経験はあとにも先にもきっと二度とないだろう。
なので来月のnoteメンバーシップは多分わたしが担当いたします。
何を書こうね。
愛とか恋とか、そういうものを深めて考えを深めていきたい今日この頃です。
あとは仕事のことかな。約2ヶ月のニートをやってみた結果、わたしの頭の中のマインドセットがかなり変わりました。どこかに書き記しておきたい気持ちだからどうせならnoteに書きたい。
さて。
2日前に写真家のコハラタケルさんとイベントでお話をしました。
彼は気づけば随分長いこと写真関係のお友達で、話すたびに発見があって面白い。彼のストイックな部分は本当に尊敬しているし、良い意味でま反対の、全然違うところにいる友人な気がしています。
「変わらない価値」と「停滞期」の違いみたいなもの
さて、自分でもびっくりしている&コハラさんとのイベントでも少し触れたのだけど、この2ヶ月間たったの3回ほどしかカメラを持ち出していない。
前はもう「とにかく何かがあるかもしれないから」とことあるごとにカメラを持ち出してはシャッターを切っていたのに、ここ最近は、すっかり疎かになってしまい。それが良くないことなのか、良いことなのかはまだ測れていないけど、写真は変わらず好きだと思う。
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