見出し画像

#51 「写真家」という仕事 | 古性のちの頭の中

「写真を仕事にしたのはなぜですか?」という質問を、初めて会った方やWebや雑誌のインタビューで聞いていただくことがある。

そのたび「写真を仕事にしようと思ったことはなくて」と話し始めるのだけど、何度も話しているうちに本当に誠なのかな?と、ふと立ち止まる瞬間がある。
わたしはわたしの意思で本当に、写真を仕事にしたわけではないんだろうか?

26歳、世界一周中のモロッコ。この頃はまだたぶ多分わたしの写真は趣味の域をでなかった

写真に触れ始めたのは21歳の頃で、「当時好きな人がカメラマンで、どうしても仲良くなりたかった」というとんでもなく邪な気持ちをたっぷり含んだ理由でわたしはカメラデビューを果たした。

当然「上手くなりたい」よりも「このカメラというツールを使って仲良くなりたい!!」という思いからカメラを使っていたので、特段これと言った練習もするつもりもなかったし、シャッターなんて切れたら良いと思ってた。

そこからなんとなく、Webライターの仕事で必然的に使うようになって(と言っても書くことがメインだったから写真はその付属品、飾りみたいなものだった)、しばらく経っても真剣に「写真で食べていけるようになりたい!」と思えるくらい前のめりにのめり込むことはなかった。


この世界の美しさをお裾分けしたいな、というふとした気持ち

はじめて写真が上手くなりたい、と思ったのは多分念願の世界一周に旅立った時で、泣きたいほどに恋焦がれた旅を続ける中で、どうかこの世界を少しでもお裾分けしたいと純粋に思った。

だけれどこの地球の綺麗さにたいして自分の技術が追いつかずに、悔しい思いを幾度もした。

私はこれまであまり何かにたいして”悔しい”と思うことが少なかったので(私はあまり競争心がない方、というか上手にそれを育てられないまま大人になってしまった)、めずらしかった。

そんな気持ちで徐々にカメラに興味を持っていったけれど、本読んだり他の人に弟子入りしたりしてめちゃめちゃ勉強する!という思いはあまり生まれなくて、出来るだけ多くシャッターを切るようにして。

そのうち運良くSNSでいろんな人が見つけてくれて、なんやかんや今に至る気がする。長期的に何か戦略を立てて計画したわけでもないけれど、行き当たりばったりでこうなったわけでもない。

多分純粋にわたしは写真が楽しくて「楽しいよね、写真」って周りと共有しているうちに仕事になった…みたいな感覚が近いのだと思う。

私の時代は運良くSNSの全盛期だった(まだ今ほど人がいっぱいいなかった)のだけど、多分時代によってその時のチャンスみたいなものはそこかしこに沢山転がっているはずで。
きっと大切なのは、世の中に対するアンテナを完全に仕舞わないこと。
いつまでも純粋に、新しいものを楽しめる心みたいなものが大事になってくるんじゃないかな〜と思うわけです。

どこからが「写真家」か?

さてじゃあそもそもどこからが写真家なの?って話なのだけど、私の場合は「クライアントワークではない仕事が価値を生んだとき」なのかな、と思ってる。

つまり仕事とか何か特別なきっかけがなくても写真を撮影して、それが世の中でなんらかの形で評価される(例えば写真自体が売れる、金銭は発生しなくてもホテルに飾ってもらえる〜など)ことで、写真家が爆誕するのでは、と思っています。

そういう意味で私が写真家になったのはきっと30代に入る直前くらいで、それまではクライアントさんから仕事をいただき写真を撮る人だったのだと思う。それをなんと呼べば良いのかわからないから便宜上「フォトグラファー」と自分を名乗ることにしていたけど、私の中ではそんな線引きかな。
(英語翻訳すると一緒なんだけど)

じゃあ、実際にこれまでした写真家の仕事はどんなものがあるのか。
なんとなくキッカケになった事柄も簡単にまとめていきたいと思う。

ここから先は

938字 / 8画像

この記事は現在販売されていません

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?