恋せぬふたり 1/17放送分
邦ドラとはいえ30分×8回スケジュールだとさすがに展開が早くて助かる…2話目にして家族へ怒りのカミングアウト、高橋さんの生い立ちチラ見せ、同僚の唐突な咲子狂いという盛り沢山な内容だった。まぁまぁ、自認に至って自己理解が進むと状況が変化に転じるということは僕にもなんとなくあった気がする。
やっぱり高橋さんはスーパーダーリン
「なめてます?」発言をしたとはいえ、メリットとデメリットを天秤にかけ咲子の同居提案を受け入れてくれる高橋さん。荷物は持ってくれるし、プライバシーに配慮してくれるし、料理も水回りの掃除までもしてくれるんだからもう非の打ちどころのないダーリンっぷりである。実家暮らしだった咲子には色々と戸惑うことも多いが、自分の家に同居人が増えたことにも動じず生活スタイルを崩さない高橋さんからは「ひとりでも生きていける感」が滲み出ている。
僕は誰かと同居するなら"自分でできることは自分でする"という前提条件が必須だと思っていて、これは結婚していた当時に強烈に確立されてしまったものだ。日常生活の中で家事負担に偏りのある状況について相手に異議を唱えたことがある。お互い時間がない中で公平な分担を提案したところ、「好きならやってくれるのが夫婦だと思う」というようなトンデモ発言をされて考えるのをやめた。奴隷関係もなぜか夫婦になると愛情に変換されるらしい。怖。
接触に対しての感覚
誰かに触れられることに嫌悪感があるか?というのはアセクシャルというひとまとまりの中でも千差万別である。腕を組む、手を繋ぐ、キス、性行為。どこまでできてどこからできないか、どこまで良くてどこから嫌か。ここから生まれる齟齬がお互いのボーダーラインを事前に確認することがないマジョリティと懇意な仲になってしまったAceの最大消耗ポイントといっても良いんじゃないか?
高橋さんは手を繋ぐのは無理な人だが、咲子は許容範囲内。この場合は閾値の低い高橋さんに配慮する、という描写がささやかだけれどありがたいなぁと思った。個人的に人間から分泌される水分が苦手な僕にとって「長袖越しに腕を組む」以上のことは全て苦痛だった。キスとか性行為なんてもはや不衛生な粘膜接触行為としか思えないし、あんなおぞましい行為を至上のコミュニケーション扱いしているマジョリティのガバガバ衛生観念は一体どうなってるんだ。怖。
「普通」ってなに
咲子の家族は父母妹の4人といういわゆる「日本の一般的な家族構成」であり、母親はおそらく専業主婦、戸建ての持ち家というTHE普通の幸せな家庭像である。
両親から愛情を注がれてすくすくと育った咲子がアロマンティック・アセクシャルであるという設定は大切だと思う。Aro/Aceになったのは育つ過程で両親から愛情を貰わなかったからでは、などというありきたりな考えに至るマジョリティは結構いる。ちなみに高橋さんについては何かちょっと複雑そうな気配を感じたが、「祖母の愛情を一身に受けて育った」と語ってくれて良かった。
両親と妹夫婦から無自覚な「普通」分類を受けて立て続けにダメージを食らった咲子が爆発する展開はきっと多くのアロマンティック・アセクシャルにデトックス効果をもたらしたことだろう…。無自覚で無知な相手に面と向かってカミングアウトをするのは大変な労力を費やすし、必ずしも理解を得られるわけではないのでリスクも高い。「自分の周りにセクマイなんていない」とか言っちゃうマジョリティに出くわすと「そりゃぁお前になんか言わないだろ」としみじみ思ってしまう。
千鶴の蟹
恋愛ゾンビ女に闇堕ちした小島藤子が奮発して買ってくれたであろう蟹が咲子の口に入ることなく佇む光景にさすがに哀愁を感じてしまった…。成仏してくれ。
ろくに言葉を発しなかった咲子父が「家に帰ってこい」という最大地雷で修羅場に終止符を打つ演出も断絶がシャープに見て取れ、リアリティがあって良かった。その後の「味方」というキーワードが一層尊く感じられるね。
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