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舞台挨拶を終えて 【闘病記vol.9】

 夜中に書いている。舞台挨拶を終えて、しばしの打ち上げから終電帰りに書いている。書きたいと思ったので、少々長くなるかもだが、まとまっていないかもしれないが、書く。

【病気前提で書くので、知らない方はこちらの記事を参照ください】

 始まるまで、というか、舞台挨拶の日程が決まって以降、この日を無事に終えることが私の闘病の中での、一つの大きな目標だった。何度も夢を見た。舞台上で喋れなくなる夢、観客が全然笑わず閑散としている夢。悪夢は舞台挨拶だけじゃない。全く面白くないと怒りながら観客がどんどん出ていく夢、もっと言えば、誰ひとり客のいない劇場で膝から崩れ落ちる夢も見た。「お前の映画に出なきゃよかった」なんて俳優に言われる夢も見た。

 当日。客の入りはそこそこ。安堵。問題の舞台挨拶が迫る。1時間前には劇場に着いた。ソワソワというよりは、ふわふわした感覚の中、パンフレットにサインをしていった。集合時間になって、俳優部が続々と集合する。ロビーに観客の姿がちらほら見え始め、中には映画関係者も多く見られた。どんどん、頭がキューっとなっていくのを感じた。頼むから誰も話しかけてくるなと思った。でも、そうはいかない。顔を見たら挨拶をするのが、人の常。大蔵映画の人とも他のピンク監督とも挨拶を交わした。エキストラで参加してくれた方も見にきてくれていたので、可能な限り応対した。

 でも、何か頭の中が張り裂けそうな感覚があった。このままじゃまずいと、劇場を出て煙草を吸った。少し落ち着く。何を話そうか。まずは自己紹介か、でも上映前の挨拶だから、元気よく走っていったほうがいいか、とか、色々考える。俳優部にも伝える。「まずは自己紹介をしてもらって、そのあとは栗山さんに質問して」と段取る。自分で語りながら、自分の頭でも理解させるイメージ。口は動くのに、頭がついていかない、そんなイメージ。

 舞台挨拶が始まり、困った。どんどん話すことに窮していき、思考が追いつかない。いつもなら、人前に出る時はスイッチを切り替えた人間のように、ベラベラと喋ってはツッコミ、場を盛り上げることに忙しないのに、今日はやはり変だった。途中で、何を話したらいいかわからなくなって、雑に他の俳優部に話を振ったりして、何とか誤魔化しながら乗り切った。優しい観客の皆さんのおかげで、何とか楽しく舞台挨拶を終えた。

 自分の中では散々だった。ああ、うまくやれなかった。自己嫌悪に陥る。ダメだ、煙草を吸おう、と外に出るも、アイコスの充電が切れていた。あぁ、俺は何で充電しなかったんだ、また自己嫌悪。だいたい、口下手だから映画やってんだよ、と何故か頭の中で誰かに怒っていた。もう帰ろうかと思った。大蔵映画の人も帰ったし。でも、せめて、上映終わりに、見てくださった人にお辞儀をして、今日は終わろう。せめて、それがいま自分にできる最善のこと。そう思って、上映が終わるのを待った。

 妻に「先に帰っていいよ」と話すも、断られる。横についている、と言ってくれた。心強かった。観客の前に立つのはいつだって怖い。新人の私のような人間には、映画ファンも意見しやすいのか、「ダメだったね」とか「あそこはもっとやらないと」なんて、過去に言われた事がある。その度そいつの顔面を脳内でボコボコにしながら、笑顔で「ありがとうございます。次頑張ります」と答えてきた。でもそれが今の自分にできるとは思えなかった。だから妻が横にいる事が何より心強かった。

 上映が終わり、続々と人が出てくる。怖い。帰りたい。消えたい。でも、何度もお辞儀した。何度も何度も。じゃあ何人目かで、「面白かったです」と去っていく人がいた。少し顔が上がる。「次の作品が待ち遠しいです」とまた去っていく人がいた。尚、顔が上がる。中には、立ち止まって私の方に来て、熱く感想を語ってくれる方もいた。もう顔は下がらなかった。

 ある一人が、立ち止まって声をかけてくれた。その人は、私の俳句の記事を見て、映画を見に来てくれた奇特な方だった。私は今年で一番、それが嬉しかった。鬱状態に陥って、闇の中を彷徨うように俳句に光を見出そうとしていた自分を、その俳句を通して、映画にまで足を運んでくれる人がいること。私が過ごしてきた闇は、不要な闇ではなかったのだと、思えた。心の俳句仲間ができた。まだまだ、私は素人の俳句しか詠めないが、「映画も俳句も引き続き頑張ってください」とエールをくれた。握手した生暖かい手の感触が残っている。サインを求められて、書くものがなくて、妻のアイライナーでサインを書いた。これも俳句にできる。お互い思ったはずだ。

 観客へのお辞儀は終わり、次は映画関係者への挨拶回り。現場でお世話になった監督も来てくれていた。同様に多くの俳優も来ていた。スタジオカナリヤのメンバーももちろん、脚本を担当した紀埜さんもきてくれていた。お世話になりぱなしで、エールを込めて私を「双極性!」と呼んでくる高原監督は、初めて私の映画を見て、素直によかったよと褒めてくれた。嬉しかった。同じようにピンク映画を監督する方も、何人か顔を出してくれていた。ありがたかった。もう自己嫌悪に陥っていた直前の自分ではなかった。

 この映画は、本当に馬鹿馬鹿しい映画で、ともすれば、どうでもいい映画。私自身もそう思う。けれど私は、これまでも一貫して描いてきている。それでしか生きられない人たちの、どうしようもない生き様。私がそうだから、それしか描けないのだろう。背伸びはしない。これからも、そういう人間を描いていく。高原監督は、私の病気をして、「それも映画になる」と言った。そうだと思う。そうだといいな。そうしたいな。

 またしてもピンク映画に救われた夜。今度は他人の映画じゃなく、自分の映画で。映画の終盤、「好きでいいじゃないか、好きなものを隠す必要なんてないんだ」というセリフがある。私は、これを観客へというよりは、自分へのセリフとして書いた。当時のそのままの気持ちを書いた。その時は、思ってもみなかったけれど、本当に自分が書いたセリフで自分が励まされることがあると知った。私はピンク映画が好きだ。ピンク映画の監督を、自分がどういう病状に陥っても、続ける。続けたい。そう思えた夜だった。形が変わろうが、時代が変わろうが、私は私のピンク映画を続ける。

 そんな、打ち上げ終わりの、薬の副作用で睡魔に襲われながら書いているこの文章を、あなたは笑うかね。

 もし今日の映画で、あなたが少しでも面白いと思ったのなら、少しでも次の私の映画が気になったのなら、どうか待っていて欲しい。私は今、戦いの最中にいる。そりゃ周りから見たら、昔からよくいる双極性障害の人間かもしれない。が、私にとっては、突如現れた大きなマンモスだ。でもそのマンモスも、ようやく最近になって攻略法が見えてきた。あと少し。もう少し。マンモスは敵じゃないから、どうにかうまく扱って、映画にしてやる。だから、もう少し、次の新作まで、楽しみに待っていてほしい。

追伸
今日、もしかすると、いろんな方々と話す中で非礼や、ぶっきらぼうな対応があったかもしれません。全部病気のせいです。


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堂ノ本 敬太
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