我慢とは何か
日本の人口を1億3000万人とすると、特定の二人が出会う確率は1/1億3000万の2乗 の値である0.00000000000000006%となる。
特定の二人をロマンチックに考えれば、赤い糸の恋人同士かもしれないし、不幸な出来事みたいに考えると嫌いな人と出会う確率かもしれない。どちらも奇跡のような出会いで二人が結びつけられたなんて信じられない確率!と思う人がいてもおかしくはない。
いずれにしても、あなたと出会う確率が途方もなく少なく見えるのだが、実のところ毎日名刺交換している人だとすると、こんなに低い値の訳がないはずとも思えるのである。
数字は嘘をつかない、ならばこの小さな値をどう正直に考えればいいのだろう。
確率の出し方は学校で習ったまま、間違ってはいない。でも、感じ方が恋人同士なら奇跡のロマンスに思え、嫌な上司なら天文学的数値で運が悪かったと諦める。確率は嘘をつかないが、私たちの脳は同じ値を無限に意味付けすることができ、これがやたらとやっかいな事なのである。
物事の見方が、場所や時間やその時の意識で異なるのは、全て自分でそう考えてのことで、誰かの意見を聞いていたとしても自分で選んだ見方のこと、誰かのせいになんて本来はできないし、我慢してでも自分ごとにするしかない。
でも、誰かのせいにしないと自分が納得できないこともあるわけで、その場合は全くと言って自分の存在を無視しなければならない。数字を使って数字のせいにして自分を納得させている自分、そこに早く気づいた方がいいと思う自分もまた、楽になろうと数値にロマンス的な意味付けをしている時がある。
個人の幸福感を高めるには、あれこれ考えていない方がいいのかもしれない。
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