見出し画像

会話の配慮?

人の気持ちを考えて発言しなさいと教育されてきた。あなたの言葉が人を傷つける可能性があるなら、あなた自身が同じことを言われたら傷つくなと思うなら、その発言は控えなさいと教わってきた。本音を言うと、私にはもう無理だと思う。もう人の気持ちなんてわからないし、地雷源がどこなのかなんてわからんよと思う。

そりゃあ最低限の配慮はするし、マスメディア等の情報源からわかる範囲(災害とかさ)でわかるなら、下手なことは言わない。だけれども、趣味とか、政治思想とか個人の価値観、生活背景に大きく依拠するものに配慮するのはもう無理だなと思った。そう思わせる出来事があった。

小学校、中学校は学区内の学校に通っていたから、割と同じようなバックグラウンドを持つ学童、生徒が多かった。だから、なにも配慮しなくても、自分が当たり前だと思っていること、普通だと思っていることが他人の当たり前、普通の尺度と一致していて、「あ。言わないほうがいいことだったんでは、これは。」といった出来事がなかった。高校くらいから割と親ガチャ、生まれた場所のガチャと言われるようなものを見聞きすることが多くなり、うかつに他人の家族背景、生活環境、価値観を否定するような内容の話が出来なくなった。例えば、「小学校のときに放課後ランドセルを家に置いて、そのまま遊びに行くのが好きだった。」と言えば、「親が厳しくて、遊びになんか行かせてもらえなかった。勉強が出来なければずっと深夜までやらされた。つらい思い出しかない。」みたいな。こういった個人にしかわからない、個人レベルで嫌な、思い出したくもないような記憶のトリガーとなる話題は誰もが何かしら持っていると思う。現に私も幾つか。でもさ、そういうことを考えていたら、なにを話せばいいのさって感じになる。

「よくわからない人と話すときは天気か健康の話をしておけ」という意味の文句が良く知られていると思う。でも、昨今、天気の話をすれば、地球温暖化で角が立ち、健康の話をすればコロナのワクチンだ。兎角に人の世は住みにくい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?