お笑いとコンテクストとデジタルディバイド

先日家族でお笑い番組を見ていたのだが、ネタの中にツイッターやらミュージシャンの話がポンポン出てくるなあと感じた。

ツイッターは割と日本人の中で「当たり前」になっていて、10代なんかはツイッターよりTikTokらしいが、それでもテレビを見る人ではツイッターをやっている方が多いか。

「当たり前」であるが、お笑いはネタを披露して観客を笑わせる仕組みの為、ターゲットを絞らなくてはネタが作れない。
ただ自分が面白い、自分だけがわかるネタは滑ってしまう。

ここでコンテクストが生まれる。

ツイッターをやっている人にしかツイッターのネタは分からない。
ミュージシャンも知らなければ、同様である。
ターゲットを絞ればコンテクストが生じ、それは無意識にハイであることが「普通」になっている気がする。

実際、家族はそのネタを理解することが出来なかった。
これはデジタルディバイドの影響とも言えるだろう。

もちろんローコンテクストで成り立っているネタも数多く存在する。

ただ、今までお笑いを見るにあたり意識しなかったコンテクストを意識してしまうほど、「当たり前」はハイコンテクストなのかもしれないと気がついた3月。

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