こぶんとのむきあいかた

1984年にある書物が発見されました。

それは土佐日記の写本です。

土佐日記といえば「男もすなる日記といふものを…」からはじまる我が国ではじめての日記文学とされているものです。作者は紀貫之。

この作品の登場はのちの女流作家に多大な影響を与えました。

そんな土佐日記の写本が見つかったのです。しかもこの写本は、紀貫之自身が書いた土佐日記を忠実になぞって書いたものだと言われています。頑張って写したのは藤原為家。

だから「為家本」とも言われています。ちなみに国宝です。

為家さんのおかげで、紀貫之が実際どのように土佐日記を書いていたのか、その書きぶりが現代に受け継がれているのです。

さて、この為家本の土佐日記はどのように書かれていたのでしょうか。

実はほとんどが仮名書きで、濁点も句読点もありませんでした。

いまのわたしたちからするとめちゃくちゃよみにくいことこのうえないですね

「仮名だけで書かれていて、句読点もない文章、まるで小さな子どもが書いたような文章ですね。」という声がどこからか聞こえてきます。

実は土佐日記は、ひらがなが使われるようになってまだ日が浅かった時に書かれたものなのです。それは現代まで続くひらがな歴史から見ると、まさにできたての、右も左も上も下もわかっていない状態です。

岩波ジュニア新書「古文の読み方」には次のような記述があります。

(土佐日記は)ひらがなが使われるようになって、まだ五十年ほどしかたっていないころの文章なのです。ひらがなが使われる一千年の歴史からみると、まだできたての、ちょうど人の一生でいうと文字を習いはじめた小学校一年生に相当します。われわれのこれから学ぶ古文は、小学校の児童がうんうんうなって一生懸命書くように、苦心して、精一杯書いたものばかりです。ぜひ、いたわって、いつくしむように読んでやりたいと思います。

「古文は堅苦しくて難しい」そんなイメージを一旦捨て去り、小さな子どもに接するような柔らかな心持ちで、向き合うことが大切ですね。








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