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JUNDO/1st album『明暗』全曲レビュー

いきなり私ごとではあるけれど、FMラジオを毎日のように聞いて、そこから流れてくる新譜に胸を高鳴らせ、僕自身が10代20代はバンド活動もしていたはずなのに、アルバムをアルバムとしてほとんど聴かなくなったのは、いつからだっただろう。

最近では、サブスクやYouTubeがこれまでの音楽シーンを一変させて、ポップミュージックは聴きたいときに聴きたい曲を、いつでもどこでも気軽に聴くものになった。

もちろん僕も例外ではなく、積極的にアーティストを追いかけ、新譜を心待ちにするということもなくなっていた。

そんなとき、僕が愛してやまないミュージシャンでありシンガーソングライターの純度タカシ改め「JUNDO」が、一枚のアルバムを作り上げた。

まず最初にこれだけは言っておきたい。

このアルバムは、まごうことなき「名盤」である。

僕はJUNDOに初めて出会った時からずっと、彼は日本ポップスの正当後継者であり、彼の紡ぎ出す曲はポップミュージックの良心であると一人で盛り上がっているのだけれど、今回のアルバムに収録されている珠玉の作品たちを聴いてもらえれば、きっと皆さんにも(僕ほどではないにせよ)その片鱗が分かってもらえるはずだと確信している。

ということで僭越ながら今回、そんな僕の独断と偏見に満ち溢れた全曲レビューを書かせていただく。

これを読んだ一人でも多くの人が、JUNDOの音楽に触れ、その人の生活の一部となってくれたら、こんなに嬉しいことはない。

それではどうぞ、ご覧あれ。


1.Ai no Hajimari

低く重めのエレキピアノのリフと、静かに刻まれるドラムのビートで、アルバムの第一章は幕を開ける。

少なめの音数の中、ささやくように歌い始めるその声が描き出すのは、まだ子供だった頃に過ごしたであろう、まだ豊かな自然の残る田舎道を、当時を懐かしみながらそぞろ歩く青年の姿だ。

けれどもその曲調は同時に、僕の中に夜と朝の間にある誰もいないあの静寂を思い起こさせる。

まだいろんなものの輪郭が朧げな、けれど何かが始まるのだとはっきりと感じられるあの時間。

そこには、遠くまで見渡せる真っ直ぐな舗装されてない道がどこまでも続き、その先には境界線のような山並みが広がり、視界を覆い尽くすようにどこまでも広がっている空がある。

その空はやがて曲が進むとともにどんどん白くなり、朝の訪れが間近であることをはっきりと告げる。

そしてついに、山間から眩い一筋の朝日が差し、静寂に包まれた雄大な風景と、これから始まる物語を照らし出していくかのように、曲もサビへと流れ込んでいく。

余計な飾り気はなく、無理矢理に盛り上げるようなこともないけれど、このアルバムの広がりを期待させてくれるような、そして以前にJUNDOの曲を聞いたことがある人なら、新鮮な驚きも同時に感じさせてくれる、そんなアルバムの一曲目に相応しい楽曲だ。

そして曲を何度も聴いていると、タイトルにある「Ai」の意味を深読みしたくなる。

タイトルがもし「愛の始まり」なら、誰もがラブソングをイメージすると思うのだけれど、少なくとも僕はこの曲の歌詞から、そこまで恋愛の要素を感じられない。

もちろん、愛を匂わせる歌詞も要所には出てくるのだけれど、歌詞の中ではどちらかと言えば、大人になった自分の小さな変化を、あの頃まだ小さかった自分を、慈しむような目線で描いているような描写が続く。

だから僕は、このタイトルにある「Ai」は、もしかしたら「I(私)」のダブルミーニングなのではないかと思ったりもする。

冒頭にも書いたように、一ファンに過ぎない僕は勝手に、JUNDOは作曲者や奏者として、そしてもちろん歌手としてもこれからの日本のポップスに名を刻む才能の持ち主だと思っているのだけれど、それはこういった言葉の選び方のセンスや遊び心を感じさせるあたりも、個人的にはその要因の一つだったりする。

JUNDOの歌詞世界については、後ほどまた別の曲で少し詳しく述べるとして、いよいよ物語が始まり、この先にどんな景色が見せてくれるのかと期待に胸が膨らんでいく、新生JUNDOの名刺代わりといった意欲に満ちた一曲である。

2.君のシークエンス

朝を迎えたら、もう迷っている暇はない。

さあ、旅のスタートと歌い出すこの曲は、そのまま一気に疾走感を増していく。

軽快に刻まれるハイハットのビートと、印象的なシンセベースに乗せて、さっきまでそこにいたはずの田舎の風景を置き去りにし、人々が騒めく洗練された街並みの中さえもすり抜けて、その先にあるまだ見ぬどこかを目指してどこまでも加速する。

それでいて、重力や風の抵抗といった現実にある余計な感覚は全くと言っていいほど感じさせない。

ただただ軽快に、風景が目の前を通り過ぎ、そのまま早送りの映像のように後ろへと流れていくような感じ。

音楽の聴き方にも人それぞれあると思うのだけど、僕が好きな音楽の特徴に、身体感覚を揺り動かしてくれるかどうかというのがある。

この曲はそういった意味で、現実では体験できない爽快感を味わえる一曲だと思う。

3.ハルモニアーの誕生

一曲目の「Ai no Hajimari」と二曲目の「君のシークエンス」、それぞれの曲が描き出した世界も、この曲で夕暮れの時を迎える。

夜明けとともに駆け抜けてきた一日が、一人一人にとってそうであるように、このアルバムの描き出す物語もまたここで一区切りをつける。

こういう表現がはたして適当なのかどうかは分からないけれど、その雰囲気は良質な深夜アニメのエンディングを見たときに感じるそれに通じるものがある。

非日常的な異世界で苦悩し戦う主人公やヒロインたちが、現代的なセンスの良い服装で一枚絵の中に描かれたりするあの感じ。

ポップでオシャレで、だけどどこか物悲しくて。

そこに流れているのは、ドラムとパーカッションが刻む気怠いビートにメロウなピアノの旋律、そして小気味良くキレのあるベースライン。

特にサビ直前のブレイクのベースには、思わず顔がにやけてしまう。

 身勝手だね 分かってるよ
 でもちょっとだけ やり過ぎじゃないか

と曲中でも歌われるように、満を持して踏み出したJUNDOが、このアルバムにはやりたいことを思うままに詰め込むのだという意欲が感じられる。

前半の三曲目にして、早くも彼の奏でる音楽の懐の深さを堪能させてもらったという、心地よい満足感と余韻にひたれるナンバーである。

4.明暗

このアルバムのタイトルにもなっているこの曲は、アルバム第二章の始まりだ。

前半の三曲が上質な短編映画だとすれば、これから続く三曲は、さながら音楽に愛された一人の男のドキュメンタリーフィルムである。

計算して作られた舞台セットから降りて、小洒落た演出もやめて、さっきまでとはがらりと違った素の顔を覗かせる。

以前からJUNDOを知っている人なら、思わず「おかえり」と言いたくなってしまうだろう。

JUNDOの真骨頂といえば、なんといっても弾き語りを抜きには語れない。

アコースティックギターと戯れるように、あるいはまるでアコースティックギターが彼の一部であるかのようにのびやかに奏でられる音楽を聞けば、その虜になること間違いなしである。

そしてこの「明暗」は、まさにそんな一曲と言える。

のびやかな歌声に合わせて、曲のリズムも自由に心地く揺れ、独特のグルーヴが生まれていく。

どうかこの曲は、ぜひ一度は静かな空間でじっくりと聴いてほしい。

一人の歌声と一本のアコースティックギターという楽器が、これほどまでに表情豊かな音色を奏でられるのだということを、改めて実感することだろう。

5.ボクらは浮かれて

音楽ジャンルに詳しいわけではないけれど、曲調はわりとオーソドックスなカントリー調とでもいうのだろうか。

アコースティックの旋律の後ろでのびやかにスライドギターが響き、二曲目の「君のシークエンス」で感じたある種の無機質な疾走感とはまた違った、ふわりと地面が遠ざかっていくような浮遊感のある曲に仕上がっている。

この曲は、その演奏もさることながら、はじめに少し触れた「作詞家JUNDO」の才能が随所に感じられる曲である。

より厳密に言うと「自分の世界観をメロディーに載せる才能」と言うべきなのかもしれない。

この「ボクらは浮かれて」でも、楽曲全体の浮遊感がさらにJUNDOの歌詞世界を豊かに際立たせている。

少なくとも僕とっては、ぐっと沁みるフレーズがいくつも散りばめられているのだ。

JUNDOが紡ぐ歌詞の中で、僕が特に推したい点は「夜」の描き方、中でも「月」の使い方の巧さである。

四曲目の「明暗」では滲んだ月の光という表現があるし、この「ボクらは浮かれて」でも今夜はまんまる大きな月が出てと歌い出す。

「夜と月」という題材はありふれた風景だからこそ、扱い方に気をつけないとどこか安っぽさを感じてしまうこともあるのだけれど、JUNDOの曲の中のそれは、どれも絶妙なバランスで、その神秘性や高揚感、あるいは見落とされがちな美しさに気づかせてくれる。

こうした夜の切り取り方も含めて、JUNDOの歌詞世界に僕が共通して感じるのは、凝り固まらない視点の多様さと、押し付けがましくない優しさ、そしてその裏側にある決して消えることのかい切なさと儚さだ。

そしてこの「ボクらは浮かれて」には、そうした視線から紡がれる繊細な言葉が溢れている。

その中でも、僕のお気に入りのフレーズをいくつかを次に挙げてみよう。

 天使と悪魔も 普段は仲良し
 ホンモノニセモノ 見分けがつかないんだ

 ボクらは浮かれて ハイになってソラを目指す
 ビクビクしてきて ときどきつつき合うんだ

 わがままなだけさ 僕たちみんなみんな
 ほどほどにしとこう 夜も明けることだし

こうした歌詞の一つひとつにさらに詳しく言及することも、僕としてはやぶさかではないのだけれど、今回は全曲レビューということで控えさせていただく。

とにもかくにも、この曲でこのアルバムはちょうど折り返し地点を迎える。

怒涛の後半戦はまだまだこれからである。

6.私鉄

全てが最高に「ど」ブルース、それがこの曲である。

繰り返されるコード進行と単調なメロディ、だからこそそこには飾り気のないいきいきとした庶民の日常がある。

それでいて、サビでさりげなく差し込まれるJUNDOの遊び心がこれまたニクイ。

素の自分に戻って長い夜を終えた男が、朝になってあわてて駅の階段を駆け上がり飛び乗った私鉄の窓の外には

 みんなのおうち ならんでる
 もんくもいわず ならんでる

ふと車内を見渡すと

 口あけたレディ ねむってる
 イライラ紳士 さけんでる

近年の日本の音楽シーンにおいてこの曲のように、とりたてて華々しくもなく、むしろどちらかといえば薄汚れてどうしようもなく、けれども愛すべき日常の風景を歌えるミュージシャンを、少なくとも僕は知らない。

もちろん、今のメジャーなポップスシーンにも日常を歌った素晴らしい曲はいくつもある。

それでもやはり、この曲から滲み出る、飾り気のないある種のリアリティを感じさせる曲と出会うことはなかなか難しいだろう。

アルバム冒頭からの洗練された三曲とはまた違う、ある意味では「生のJUNDO」を、この曲で締め括るというあたりも、彼の音楽に対する敬愛の念を感じると言うのは、いささか大袈裟すぎるだろうか。

7.シネマ

この曲でアルバムは一旦フィナーレを迎える。

僕が前半の三曲が短編映画であり、それに続く三曲がドキュメンタリーだと言ったのも、この曲がここにあったからだ。

映画と音楽は、どこか似ている。

気づいた時には夢中になっていて、いつしか自分も作り手側に回っていたりして、いつかの大舞台を夢見たりもする。

多くの人はその道半ばで挫折したりもするのだけれど、どうやらこの曲の主役はその夢を叶えたようだ。

数々の名作を従え、レッドカーペットを優雅に歩く。

ゆったりとしたビートにのって、女性のコーラスやトランペットによるソロなど、これまでの曲には見られなかった派手ではないが豪華な音色も、ここに至るまでの幾つもの物語を祝福しているかのようだ。

だからもしここで物語が終わっても、きっと誰一人文句は言わないだろう。

それでもこのアルバムは、あと少しだけ続く。

そして、個人的にはその続きこそが、このアルバムをさらに一段高い「名盤」へと押し上げていくことになったと思っている。

残りは2曲、エピローグと呼ぶにはあまりにも濃密なひとときへと、さらに足を(あるいは耳を)進めてみよう。

8.こわきに抱えたギター

個人的に、今回のアルバムの中で一番気に入っているのがこの曲だ。

僕にはこの曲の全てが、もう「たまらん」のである。

始まりから颯爽とスタイリッシュな音を奏でたかと思えば、中盤では温かな人間味のあるフォーキーでブルージーな曲をのびやかに歌いこなし、堂々と優雅にレッドカーペットを歩いた男は、この曲のタイトルにあるように、それらを鼻にもかけずそっとその場に置いて、こわきにギターを抱えてまた歩き出す。

そして一人、自分の部屋に戻り、ぽろぽろぽろろんとギターを爪弾く。

う〜ん、たまらん!

苦いコーヒーのようなあの頃を思い返して、冷めたピッツァを温め直しながら思うのは、ずっと昔に出て行ったあの娘のこと。

 ああ 昔の人の恋なんか
 知りたくもないなんて
 さみしい さみしい さみしいじゃないか

 ああ 素敵な人とめぐりあい
 俺を忘れちゃうなんて
 さみしい さみしい さみしいじゃないか

ああ、女々しい、未練がましいぞ、JUNDO!
だが、それがいい!

歌詞だけを読むと、いかにもじめっと感じるかもしれないのが口惜しいのだけれど、曲を聞くとそこには、愛すべき一人の男がそこにいるのだ。

う〜ん、たまらん!(二度目)

さて、ここからは完全な余談になってしまうのだけれど、あと少しだけお許しいただきたい。

これはあくまで僕の主観でしかないのだけれど、僕自身が大阪出身ということもあり、憂歌団や上田正樹、石田長生などの音楽が(大袈裟に言うと)魂のどこかに染み付いていて、そんな僕の魂にこの曲は、そうした面子の中でもまた独特の個性を光らせる有山じゅんじを真っ先に浮かばせた。

こうしたレビューの中で、別のアーティストを例えに出すのは邪道なのかもしれないけれど、僕が言いたいのは決してその二番煎じだと言ったようなことではない。

むしろ、そうしたアーティストたちの奏でてきた音楽をきちんと自分の中に取り入れて、物真似ではなく独自の音楽として奏でているJUNDOの才能にただただ敬服するし、それこそが僕が彼を「日本ポップスの正当後継者」だと言って憚らない理由のひとつでもある。

アコースティックギター2本による流麗なアンサンブルに、どこまでも自然体な歌声がじんわりと沁みる。

余計なものは何もない、それなのに大事なものが全部ある、聞けば聞くほど好きになる。

何度でも言う、う〜ん、たまらんっ!

9.風穴

純度タカシのころから歌われている名曲が、このアルバムの最後を締める。

この曲は初めて聴いた時から、個人的には非常に完成度が高く、それゆえ様々なアレンジも可能だと思っているのだけれど、このアルバムでは音数を最小限に抑え、どちらかといえばどっしりと落ち着いた雰囲気のアレンジでこのアルバムを終えている。

ここまでの流れであれば、もう少し華やかでフィナーレ感のあるアレンジもできたのではと思ったりもするのだけれど、あえてそうしなかった理由を、僕なんかはどうしても考えてしまう。

このアルバムを作っていたであろう時期は、世間の空気がどんどんと重苦しくなっていった時期と重なっていたのではないかと想像する。

そんな中、音楽はそういった空気感と無関係だという考え方もあるだろうし、むしろそんな時だからこそ明るくハッピーなものを届けるのだという考え方も、もちろんあるだろう。

けれどJUNDOは、あえてそれらの方向性を選択せず、そうした空気に真摯に向き合ったのではないかと、僕は想像する。

ここまでこうして独断と偏見に満ちたレビューを書いてきたわけだけど、このアルバムは全体を通してしっかりとしたストーリー性があり、細部までこだわって作られていることは、たぶん間違っていないと思う。

だからこそ、僕には聞き馴染みのあるこの曲の今回のアレンジにも、彼の意図がきっとあるはずなのだ。

シンプルなアレンジだからこそ、アルバムの最後であるこの曲では、他の曲に比べてもJUNDOの歌声が全面に押し出されている。

そしてその歌声はまるで、今もどこか不安な僕たちの心に、近づきすぎることなく、かといって突き放すわけでもなく、ただそっと「きみは一人ではないんだよ」と語りかけているかのようだ。

ポップスとは、普遍性と時代性を兼ね備えていてこそ本物だと、僕は思う。

その意味で、最後にこの曲がこのアレンジで収録されていることもまた、きっと必然なのである。


さて、いかがだっただろうか。

いささか熱が入りすぎた感は否めないけれど、そのわりに伝えたいことが伝えられたかどうかも分からないけれど、もし少しでも感じることがあったなら、ぜひこのアルバムを実際に聴いてみてほしい。

僕がこうして拙い言葉を並べ立てるよりも、何十倍も何百倍も、JUNDOの奏でる音楽は、きっとあなたに雄弁に語りかけてくれる。

その小さなきっかけの一つになれることを願いつつ、僕はまた何度もこのアルバムに耳を傾けることだろう。

最後まで読んでくれた皆さんと、このアルバムを届けてくれたJUNDOに心から感謝して、今回はこれにて失礼させていただきます。

(了)

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