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マジェントのスタンドはなぜ立ち向かわないのか?

スタンドが「傍に立つ (stand by me)」から「立ち向かう (stand up to)」になったSBR。
そんな中に颯爽と輝くマジェントと20th Century BOY。

気高く飢えて立ち向かうのがメインテーマのSBRで、なぜマジェント・マジェントは立ち向かってないスタンドを発現するに至ったのか?
19世紀末の人間なのになぜ20世紀と名前につけたのか?

スタンドの能力には本体の価値観が反映されているに違いないという思い込みの元で、色々と考察をしていきたいと思います。
SBRのネタバレが多大に含まれますので、未読の方はご注意ください。
また、長いのでお急ぎの方は「まとめ」だけどうぞ。

しかしマジェント・マジェントはカワイイなあ。


20th Century BOYのおさらい

20th Century BOYは発動中は無敵だが、自分からは動けなくなるという極端なスタンド。
その無敵っぷりは攻撃を防ぐだけでなく、呼吸や飲食ができない状況でも死なないというチートっぷり。

飲食不要だと判断したのは、マジェントが「考えるのを止めた」レベルになるまで生存していたため。
もし飲食が必要だったら、そんな状態になる前に脱水症状の苦しみで死を選んでいると思うのです。

ただし、作中でウェカピポが行った「帽子をずらす」「服を脱がせる」は防ぎませんでした。どうやらマジェントにとって脱がされるのは攻撃にカウントされないようです。危ない。

ついでに、ウェカピポがガバアアッと勢い良く脱がせた衝撃でマジェントの腕が動いています。20th中でも他者が干渉すれば動くことができるというのは大事な情報。
(原作うろ覚えの方もいるかも知れないので記載しておきますが、ウェカピポがマジェントの服を脱がしたのは、懐に爆弾を隠し持っていたことを察したから。ラッキースケベではないのでご安心ください)


SBRは直接的な攻撃を行わないスタンドが多いですが、その中でも「立ち向かわず耐えるだけ」という不思議なスタンド。

マジェントの名前の元ネタがエイジャの赤石をモチーフにした歌なので「カーズのパロディをしたい」という理由から逆算して作られたスタンドだと推測できますが…それはあくまでメタ的な理由。
『スタンドの能力には本体の価値観が反映されているに違いない』という思い込みがある私としては、このスタンドからマジェントの価値観や生き方を考察できるのではないかと思うのです。


マジェントの両親、モンペ説


そこで私が提唱するのが「マジェントの両親、過保護すぎてモンスターペアレンツだった説」です。

防御して耐えるだけのスタンドが発現したのは「その場だけ我慢して、帰宅して泣きつけば親が何でも解決してくれる」という人生を過ごしたからではないかと思うのです。

攻撃以外の干渉(服を脱がす)を受け入れていることは、マジェントが周囲を信頼し、助けてもらえると無意識に思っていたことを表していると思われます。

本来、保護者が子どもの絶対の味方でいることは正しいとされています。信頼できる保護者がいるからこそ、子どもは世界には信頼できるものがあると理解し、新しいことに挑戦する勇気がもてるのだと保育士試験対策のテキストに書いてあった気がします。無かったらごめんね。

他者を信頼することの重要性は、5部のジョルノの過去でも触れられていましたね。

ただ、これは当然、子どもの間の話です。
人は成長し、大人になり、自分で困難に立ち向かっていくようになります。親は子どもがそうなるように、少しずつ庇護する割合を減らし、子どもの生きる力を伸ばすよう接します。それが育児というものではないでしょうか。

マジェントはいつまでもいつまでも育児をしてもらえなかった。耐えていれば両親がなんでも解決してくれた。
そのため『周囲を信頼する』ことはできるけど『自分で立ち向かう』力が育たなかった
そして、そんな楽でしあわせな環境にずっといたいという「立ち向かわない弱さ」が20thの発現に繋がった、という説です。


マジェント、味方を信用しすぎ説

上記の考えになった理由は、マジェントが病的なくらい味方を信用しているためです。
また、誰かに好きになってほしいと言う気持ちの強さも、親の代わりに自分を溺愛してくれる相手を求めていたように思えます。

ウェカピポと組んでいるときも、遠くで鉄球を投げているウェカピポに全く不満な顔を見せず、自分ひとりで敵に接近していました。
あれ、ふつうなら「お前も前に出ろよ」とでも言いたくなると思うのですよ。背中を任せて、危険な前線に自分だけ行くって言うのは、相当な信頼関係がないと難しいと思います。

ですが、「出会った時から上から目線で人の事 小バカにしやがって」というセリフがあることから、そういった絆は無かったと推測されます。
それでもマジェントはウェカピポを信頼して指示に従っていたのです。好きだったこともあるようですし。

そのわりに敬意を払えって指示を守っていないって?あれはウェカピポの説明が抽象的過ぎるんです。プロシュート兄貴を見習って欲しい。
何がダメなのか具体的に明言→ダメな理由を細かく説明→相手の発想を一部残した代案を提案。さすが兄貴、完璧すぎる。


Dioとの関りはもっと分かりやすいです。命を助けて貰った恩があるからって懐きすぎ。この部のDioは、三部のDIOみたいに「怖がらなくていいんだよ、マジェントくん!友達になろう^^」とか言わないと思うのですよね。それなのに運命って。会いたいなって。

これは「歪んだ方向で溺愛されたことしかないので、ちょっときっかけがあれば好かれて当然だと思うし、相手が本心では好いていないということに気付けない」という状態なのだと思うのです。
ウェカピポぐらい冷たくウザがってくれないと、好かれてないと気付けないのでしょう。

むしろこんなヒヨコみたいな人間によく冷たくできたなウェカピポさん。いろいろ余裕がない状態だったとは言え、全く情が移らなかったの?
これもいつか考察したいなあ。


それでもマジェントは立ち向かおうとしていた説

ここまでマジェントのダメな子っぷりを考察していましたが、彼なりに現状を変えようとしていたようにも思えるのです。

「失うものが何もない人間」だと自分を評価していたことから、自己評価が低かったことが明らかです。
それでもクズ扱いされて怒るということは、マジェントにもプライドがあったのでしょう。

失うものは何もないのに、プライドがある。
これは、これから取り戻していくつもりがあったと見なしても良いのではないでしょうか。

困難を解決してくれる両親はもういない、スタンドは『耐えるだけ』なので解決はしてくれない。
だから、これからは自分で立ち向かっていけるようになろう、と。

スタンド名前にもこの気持ちは現れていると思います。
19世末に発現したスタンドの名前が「20th Century BOY(20世紀少年)」
20世紀に向かって、立派に成長していきたいというマジェントの気持ちが反映されているのでは、と思うのです。

20th Century BOYの成長性はC(人間と同じ)
一歩ずつ進んで、成長していく可能性は充分あるでしょう。

選んだ職場が圧倒的に外れで、組んだ相棒とはウマが合わない上に裏切られ、次に出会った人はめっちゃ自己中。さらに現状は河ポチャして自力での再起不能という「どういう災難だッ!!」という状況になってしまいましたが……。

今すぐデラウェア河の水を抜こう。


まとめ

最後に考察を短くまとめます。

・20thの能力は「仲間を信頼するが、自分で立ち向かう意思力がない弱さ」から発現した。
・上記に至ったのは、過保護すぎるモンペに守られて育てられたから。
・それでもマジェントは成長したいとあがいているから、スタンド名は(作中の)未来を示す20th Century BOYになった。


やっぱりマジェントはカワイイ。
今すぐデラウェア河の水を抜こう。それしかない。

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