夢と現実の狭間

何から書こうか。


浮かんだ気持ちはたくさんあったのに

整理しようとした途端、真っ白になってしまった。






母が人生を終えた。

他界した。

永眠した。


どんな言葉もしっくりこない。


母にしかわからないことが、私に分かりきれなくて私の後悔につながる。

母にしかわからないことは、母にしかわからないし、

それは母だけのものであって、私には100%は分かりきれないはずなのに。


「母は、自分の人生に納得していたのだろうか」

そんなこと母にしかわからない。

だから、

わからないことによって不安になるより

母と私の大事な、記憶や感情を抱きしめたい。


頭ではわかっているけれど、まだ少し時間がかかりそうだ。





魂が抜けた母の身体を見て

なんとなく理解してしまった。


穏やかな顔に見えた。

本当に眠っているかのようで。


抱きしめてくれた母はもう起きることはなくて。

私を呼ぶこともない。


今にも「見て、むくんじゃってるの」なんて言って

私が「マッサージしてあげるよ。これでも半分プロだからね」なんて言って。



私が抱きしめても、もう母は抱きしめ返してくれない。

死化粧は、なんだかこざっぱりとした色使いで

血色のいい、私のお気に入りのリップを貸してあげた。


記憶の中の母は、上唇と下唇で微妙に色の違う口紅を使っていた。




「いつか」が訪れることはずっとわかっていた。

その「いつか」がそう遠くないこともわかっていた。


だけど、「いつか」はずっと「いつか」で、

「今」がずっと続くと思っていた。



偶然なのか、必然なのか

前日に久々のテレビ電話をして、

「もう少しで帰るからね」「明日から友達のところで仕事だから、どんなところでやってるのか明日のお昼頃に見せるね」と言って

「また明日ね」と何度も言って電話を切った。

私と母の明日のお昼の電話は叶わなかった。



友達が言ってくれた。

「4年もガンと戦ったんだね。強かったね。」と。


そう。母は強い人だった。

私にとっては繊細な宇宙人みたいな。

喜怒哀楽が強くて、飽き性で、優しくて、料理がすごく上手で、無鉄砲で、片付けが苦手で、我が強くて、勇気があって、束縛が嫌いで、責任感が強くて、1人で抱え込みがちで、不器用で、おしゃれが好きで、天真爛漫で、すぐに友達ができて、歌と踊りが好きで、遅刻癖があって、頑張り屋で、チャレンジャーで、いろんな人から愛されていた母。


私は間違いなく、母の子供だ。


外へ飛び出す勇気は、間違いなく母の遺伝子。

「一番身近なお母さんが、外国から来てるから“私も1人でいけるはず”って思えたんだよ」と言ったら

「でも大胆すぎて、ちょっと心配よ」と言われて、笑いあった病室。


これは本人に必ず伝えよう。と思ったことが7、8割伝えられたと今は思ってる。

こう思えたのも「ガンがくれた時間」だと思う。

その時間に感謝もしている。

だけど、

だけど、もう少し。もう少し。

1週間だけ時間がほしかったな。

どんな場所で、どんな人たちと、どういう風に今生きているのか

お母さんに写真を見せながら直接伝えたかったな。


母のことがとても好きだった、愛していたことが

失われてから大きく気づかされる。


どんなに泣いても、もう時は戻らない。


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