人生はきっと点描のように
小学4、5年の頃、毎日がとても憂鬱だった。
「親友」とか「仲良しグループ」とかそういう概念が残酷なほどハッキリしてくる年頃なのに、友達と言える友達が私にはいなかったから。
大人になった今から思うと、趣味も家庭環境も性格も、全てがバラバラの、「ただ同じ地域で同じ年齢だから」とまとめられた公立学校のクラスほど、友達を見つけるのが難しい場所はないと思うけれど。
当時はまあ、そんなことを考える余裕なんてあるはずもなく、むしろ少女マンガにありがちな「親友」がいないことに内心ひどく焦っていた。
◇
「辻先生の昔のクラス、年末に同窓会したんやって」
小5の3学期、そんな話を耳にした。
クラスメイトの年の離れたお姉さんが二十歳になり、6年の頃担任だった辻先生を中心に、同窓会が開かれたらしい。
「みんなでお酒飲んで、アルバム見て、めっちゃ最高やったって」
「小6のときも、めっちゃ仲いいクラスやったんやって」
彼女は自分のことのように、誇らしげに教えてくれた。
二十歳になっても同窓会をしたくなるくらい、毎日楽しくて、仲が良いクラス。
いいなあ、と思った。
小学校生活を振り返って、二十歳になっても会いたいくらい楽しいクラスなんて、経験がなかった。
とはいえ辻先生は6年生ばかりを担任している先生で、話したこともなかったし、どんな人かも知らなかった。
顔と雰囲気の感じからすると、ちょっと剽軽な男の先生。
でも集会でお喋りをやめない生徒たちをガツンと怒っているイメージもある、ちょっと怖いかもしれないベテランの先生。
もう冬も終わりに近づいていた。すぐ最後のクラス替えが来る。
辻先生のクラスになったらいいなあ。
でもまあ、なれないだろうなあ。
漠然とそう思っていた。
◇
ところで私は、真面目で気が小さく、堅物な生徒だった。
「楽しそうだけど大人に怒られそうなこと」には手が出せず、ノリが悪いと思われるとわかっていても、ズルもおふざけもできなかった。
小学5年の冬に当番だった空き教室の掃除も、そのひとつだった。
見回りのこない空き教室の掃除を、真面目にする子なんていなかった。
みんな箒で遊んだり雑巾を投げたりしばらく乱暴に遊んだ後、適当な頃合いで教室に帰る。
私は他の子たちが戻ったあとも、普通の教室の掃除と同じように、箒で掃いて、雑巾をかけていた。
掃除終了のチャイムがなる前に教室に帰るのが、悪いことのような気がしてできなかったし、教室にいても居心地がいいわけじゃなく、掃除をしているほうがラクでもあった。
そもそも掃除が好きだったのもある。古い教室には埃があちこちに溜まっていて、綺麗になると達成感があった。
「あれぇ、なんでひとりでやってるんや」
廊下から突然、大きな声をかけられてびっくりした。
辻先生だった。
「他の子らはどうしたんや! それともいじめか!?」
「えっ、あっ、違います、ちょっとたまたま・・」
それは確かにいじめではなかった。
だって他の子たちは私にも、「帰らんの?」と聞いてくれていたのだから。
いい説明が浮かばず困った様子の私をみて、先生は少し語気を和らげて言った。
「そうなんかー? でもいじめやったら先生にいうんやぞ! 先生がやっつけてやるからな!」
私は思わず笑ってしまった。
私をそんなふうに、正面から「子供扱い」する先生はほとんどいなかったから。
なんだかくすぐったいような感じがした。
先生が立ち去ろうとしたそのとき、咄嗟に声がでた。
「辻先生!」
先生はくるっと振り返った。
「おっ、なんや?」
「…私、次は、先生のクラスになりたいな」
先生は不意をつかれたような顔になった。
言いながら私もドキドキしてきて、言い訳するように言葉を続けた。
「聞いたんやで。先生のクラスってめっちゃ楽しいんやろ?
それやったら私、次は先生のクラスになってみたいな」
先生は、私の言葉をしっかりと聞いて、すごく頼もしい顔になって、そして言った。
「よっしゃ、わかった!」
胸がぶわぁっと熱くなった。
それは一瞬のやりとりだった。
一瞬の、あっさりとしたやり取りだったので、本当に先生のクラスになることはないだろうなと思っていた。
それでも先生にそう伝えられて、「わかった!」と言ってもらえたということに、私は十分に満足した。
翌春、私は6年A組になった。
全校集会で発表された担任は、満面の笑みの、辻先生だった。
◇
辻先生のクラスになった私は、真剣に「小6デビュー」することにした。
「毎日楽しくて仲がいい辻先生のクラス」になった以上、自分も楽しく過ごさないといけない、という謎の使命感があった(何度も言うように非常にまじめだったのだ)。
誰かの言葉にいつもオーバーリアクションをしておどけ、とにかくニコニコ率先してはしゃいだ。
「みずたまちゃんってこんな子だったっけ?」と呟いた子がいてギクッとしたり、空回りして毎日反省会をしたり。
最初は無理矢理だったその努力は、だけどすぐに実を結んだ。
辻先生が上手にいじったり突っ込んだりして笑いに包んでくれたおかげで、私は初めてと言ってもいいくらい、クラスの中に「いつも安心していられる」と感じられる友人関係を得ることができたのだ。
その1年間は、本当に楽しかった。
放課後や休みの日に、友人たちと集まってお喋りしながらテレビを見た。
友人がハマっていたポルノグラフィティの話を聞いて、お菓子を食べた。
もう1人の友人がハマっていたのは「ごろ寝ダイエット」というストレッチで、3人で一緒にゴロゴロしながらストレッチをした。
朝の校庭で、本当は走らないといけない時間に滑り台の下に隠れて、走るのをさぼった。
みんなでお喋りしながら、「走れよー」と言ってくる先生たちに「はーい」と返事して、いつまでもお喋りした。
ドキドキソワソワしたけれど、みんなと一緒にサボることができた自分が、一緒にサボる友人がいることが、全部がすごく嬉しかった。
◇
一歩踏み出した先に。
卒業後、その先にあったのは、だけど、そんなにドラマチックじゃない現実だ。
私たちの時には、憧れていた「二十歳の同窓会」はなかったし(私は成人式に行かなかったので知らなかっただけかもしれない)、
一緒に朝のマラソンをさぼった友人たちとは、今はもう、連絡先もわからなくなった。
だけど、いい。
「声をだせば、受け止めてもらえることがある」という一点を、私は先生に教えてもらった。
「変わろうと思えばいつからだって変われる」ということを、あの春の私は知ることができた。
あるいは「友人関係は自分から連絡を取り、大事にしないと続いていかない」ということや、「同窓会がしたいなら、自分から声をかけてもいいはずだった」ということなんかも。
一歩踏み出した先に。
その先にあるのが、真っ直ぐ綺麗な直線じゃなくてもいい。
点描のように、左右に揺れた経験をつなげて、太い線になっていくのだ。
そう思えるようになった自分の今までを、今の私は、かえがたく思える。
私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。