昨日のメモ
昨日のだけれど
最後の章で書くことが決まった。
敵のボスを看取るというラスト。敵が死を迎えるまでの数ヶ月か数年を二人で暮らす。
主人公がスープだかラーメンをつくっている間に、その敵がおだやかに死ぬ。
主人公は、なぜその人に付き合っているのか、結論を出さないまま「目の前のこの人がこうなっているのだから、仕方ない」と、半ば保留のような形で付き合う。
敵なのだから、大きなことがあり、忘れたわけではないけれど、日常生活の全ての場面、たとえば蛇口をひねっているような瞬間にまで意識しているわけではない。
そうしているうちに、良いスープを飲ませてやりたいという、それ以外に他意を持たずに行動したりしていく。
芽生えた愛情や友情、というのを前面に出す感じにはしたくない。
あくまでも、仕方ないからやる、という風にしたい。わざわざ不味いスープを飲ますという意地悪をする理由もない。
愛情も友情もないし、むしろ憎悪もあるが、仕方ないからやる。
衝突し、それによって相手の時間を早めるけれど、最後に水を飲ましてやろうとするような、物事を綺麗に畳もうとする健全さにしたい。
敵なので、どこかのタイミングで、主人公は、その人物を敵と規定する。そうしなくても、生きてはいけるのかもしれない。そして全ての要素が敵というわけでもない。敵と決めなくても時間は進む。
決めたとて、全ての要素を敵と思い込まないバランス感覚を持つ努力もする。
敵は、そんな主人公など簡単に圧せられると思っている。だが、主人公が捨て身で戦うことで、思い通りにいかない。
仲間は最初はいない。主人公の考え方は、同じような立場・境遇の人間達はそれほど強くない意思で賛成はするものの、行動を共にする者はいない。
その事に失望したりせず、主人公は賢明に必要な仲間をつくる努力をする。全面的な味方でもない。
主人公が整備したインフラに関わる部分でだけ、メリットが勝りリスクを承知できるからという範囲でのみの仲間を増やしていく。そのために主人公は不断の努力をする。
すぐに否定・批判されるという意識が強い。
興味を失い、不感症になる。興味を持ったり感じたりすることが、楽ではないことになるからだ。
批判されない大義名分を得ている狭いものの中でやりたい事の居場所を陣取るしかない。
だから自分のスペースも、そのようにして選んだ者としてみられるのでは、そうしているのではという疑念もつきまとう。それを取り上げられたり、Oされてしまうのを嫌う。
それは自分が個として尊厳のあるものとして存在してられる確証。彼らは証明という、を見つけられていない。本来それは自由なもののはずだが、ネットの「なんでも価値がつけられ、程度のピラミッドがある」や、前述の圧力から、社会的に物語として認められるであろう「傷」を自分の誇りのように振る舞っている。
そうしてすこしづつ掘って、膿む。
そういう世界にどう伝えるのか?
君は君のままでいいという始まり方が有効かもしれない。
最初の消費者となった世代を倒す。
竜宮世代。
彼に、自分の価値観をもつベースがなかったり、自分の認識を自覚することが難しいのは、そういう土壌があるからだ。
森林のことを考えないといけないんだぞ!というふうな圧力を、赤の他人から言われたところで、遠ざけたくなるだけだ。
きちんと世代を終わらせて、はじまりの環境をととのえて、自分の幸せもつかもうともがく。
その流れだけをリアリティを持って、そしてプラスであるかのように描く。