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上達フェチ

「やってなかったことがやれてる」とか、「下手だったのが上手になる」とか、そういう変化に、萌える。

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先週末は「パラダイス劇」という、学校の保護者有志による芝居に、コーラス隊で参加していた。アダムとイブの楽園追放を描いた作品だ。土曜日夕方がゲネプロ、日曜午前が最後の通し稽古、午後に二回公演。

「エファ(イブ)、みてごらん!なんてすばらしい楽園なんだろう!」

このアダム(2コ上Iちゃんのお父さん)のセリフが、どうしても浅くなっちゃってた。ゲネプロでもまだ、気持ちが乗っていなかった。

それが、本番前の最後の通し稽古では、文字通り劇的に、よくなってた。ほんとうにこころから「なんてすばらしい!」って言ってた。表情もよかった。

こういう飛躍に、心奪われる。

最後の通し稽古、終幕のコーラスが、泣いちゃって歌えなかった。本番は余裕で大丈夫だったのに。劇って、成長だなと思った。

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その終幕で歌うのは、9曲ある中でダントツ好きな、明るく前向きな曲(譜面に「酔いしれて歌う」っていう指示が書いてある)。

おお 父と子と聖霊の 聖なるさだめ

この、さだめの「め」は、「伸ばさず1拍+休符2拍」が正解なんだけど、どうしても忘れて「めーー」って伸ばしちゃう。揃わない。決まらない。

それが、本番前の少しの時間、チェンバロ弾きの先生がリードして、コーラス隊だけが重点練習。1拍のあとの「抜き方」も繰り返した。

そうしたら本番、きちっと「め」が揃った。

パラダイス劇のコーラス隊は女声が多くて、自分が今年史上初の男声パートだったそう。一人オクターブ下でやるのは外すのがこわいけど、やりがいは感じる。

でもやっぱり、いちばん響いたのは「め」を揃えられたこと。ちいさいけれど一つの完成へ、隊のみんなと歩んでいけたこと。

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娘がほんとうに小さいころ、はじめて二本足で立った姿を、よく覚えている。こわごわ、そろそろ、ゆっくりと立ち上がって、本人もすこし驚いたように足元を見ている。その姿は、美しかった。

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上達っていう軸とちがうんだけど、最近とみに嬉しいのは、頭角を現してきた推しnoteクリエイターの面々―ケイさんとかみのりさんとか―が、前からの仲間たちとtwitterで交流しているのを見る時。なんだろう、noteのなかで、大きな渦ができつつあるような気がするから。

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「上達」ってタイトルに入れたけどそれは正確なのかな。成長?攻略?達成?美?

ギャップ萌えの一種なんですかね?性的なあれ(?)を含む「萌え」とは違う気もするけど。

ただまあこういう性格なんで、日常のなかに萌えるシーンは幸いいっぱいある。メンバーがアップしてくる議事録の言葉一つ、仕事を頼んだクリエイターのアウトプットひとつ、note仲間の投稿、tweetの一言……

なんにせよ、変化を志向/嗜好するということだ。変わり続けることの中でしか、萌えは生まれない。変わり続けるものごとや関係性のなかにある「いま」を丁寧にとらえて、一緒に変わっていきたい。

何事もプラスに変わっていく。それに、託したい。

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