チャンネルを開くこと #わたしにとって企画とは
お題やコンテストをつくって公開することは、それを主催する「読み手」にとっても、参加する「書き手」にとっても、双方にメリットがたくさんあるWin-Winなことなんだよね。
私は去年『おびコレ』と題したちいさなお題企画をやったけど、本格的な私設賞はこれから。だから「読み手にとってのメリット」のほうは推測/予想/期待が多くなるけれど……
読み手にとってのメリット
①読む理由ができる
普段ついつい読み飛ばしてしまういろいろなnote記事を、応募作品だったら腰を据えて読む理由になる。「強制力」が働くことで、偶然の出会いが生まれる。
②コメントを書く理由ができる
企画の趣旨と応募作品との関係性を読み解けば、自然と何かしらコメントを書くことができそう。
③インタラクティブな対話をする理由ができる
twitterにシェアしてリプライがついたら、それなりにコメントで反応しようかなという気になりそう。
この3つの理由を統合するなら《加圧トレーニング》ですね。鍛錬のために企画やるひとは少ないかもしれないが、ガチの主催者がいちばん成長することはまちがいない。読む力、書く力。
翻って応募する側からすれば。
書き手にとってのメリット
①テーマが得られる
何か書きたいけれどネタが無い人、ネタはあるけどあればあるだけ書ける人にとって、お題やコンテストのテーマは「書く」ことの最大の動機になる。
②「制約」が得られる
コンテストのテーマは「縛り」となり、ひとは制約がある方がクリエイティブになれる。「原稿用紙二枚分の感覚」が鮮やかな結末を迎えたのは、主催・伊藤緑さんの《評》の圧倒的なパワーはありつつ、縛りの圧倒的な強さがよかったと思う。テーマに向き合うことで、普段つかわない筋肉を使う。
③「読み手の存在」が得られる
教養のエチュード賞で特に言われたように、個人賞は主催者が必ず読むわけだから、少なくとも1人は本腰入れて読んでくれる読者がいることになる。
得られるものばかりだ。
公式のお題すら常時たくさんある中で非公式のお題企画が多発し、書きたいお題があれば書けばいい/ピンとこなければただスルーするだけという完全なる書き手(優位)市場である。書いてもらえなきゃ企画は成立しない。
不思議だ。note全体、インターネット全体、出版界とかも含めて広く見たら、圧倒的な「なんぼ書いても読まれない」場所(読み手市場)なのに。
このギャップに、企画の存在価値がある。
読み手と書き手をつなぐ意味
お互いに求めている読み手と書き手の間にコミュニケーションチャンネルを開くことが、お題企画や私設賞の大きな役割だと思う。
読み手は、読みたいものを書いてくれる人を求めている。
書き手は、読んでくれる人を探している。
だいたい私も雑談が苦手で、会社でも「用がなければ話しかけない」タイプだ。コミュニケーションを開始するのはハードルが高い。
だから、「用」をつくる。
FMラジオのパーソナリティが「リクエストを送ってください」と言い、リスナーがおたよりとともにリクエストを送る。その相互作用で「番組」ができるのと似ている。高校生のころいちどだけ、大好きなDJの番組に送ったリクエストがかかって衝撃を受けたのを覚えている。ほんとうに届くんだって。
わたしにとって企画とは、チャンネルを開くこと。
だからたくさんの企画が渦巻いて、そこかしこで疎通が発生しているのは、健全な風景だと思うのだ。
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というわけで、こんなにいいことがいっぱいある企画主催ですので、
年末の岡山オフ以来温めていた私家版コンテスト、お蔵入りさせようと思ってたけど、
そろそろやろっかな?
詳細は後日!
Photo by Ludovico Lovisetto on Unsplash
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