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どう死にたいかはどう生きるか


「どう死にたいかと考えるとどう生きたいかがわかる」いつの日か誰かが言っていたのを聞きました。

この言葉を聞いたときは、”死”は怖いものだから向き合って考えられないと思ってました。

でも高卒で社会に出て社会にいる中で、私はだんだんどう生きたらいいかどう生きたいのかわからなくなっていきました。”こんな風に生きたい”と思っても日常のなかに埋もれていつの間にか忘れていく、それを何度も繰り返してきました。

今私は、21歳で大人であると意識してきました。最近、素敵な人のお話も聴きに行きました。そこで決めました。もう何度も同じことを繰り返さないように。自分が”もう忘れないように”。


私はどう死にたいのか


草原とお花畑がある自然のなか、一本の木がそっとある。そこでは、自然の中で遊んでる子供たちの声が聞こえる。私は木にもたれかかって声に耳を澄ませて座っている。そして目を閉じてそのまま”私”の生涯を終えたい。

そのあとは私は木になり、木の下でパーティーをしてほしい。泣くのではなく笑ってほしい。通りすがりの人も巻き込むくらい楽しんでほしい。


私はどう生きるか


私は周りの友達や子供たちに示せるくらい自由に生きたい。みんながやりたいこと楽しいと思うことをできるような世界を作りたい。

笑顔がいっぱいで愛に溢れて自分に正直で自由。『清く、美しく、凛として』生きていきたい。

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ここまでは理想。

しかし、私は完璧主義ですべてを完璧にしようとして頑張りすぎてしまうところがあります。

だから、今の私を受け入れながら愛しながら緩くマイペースで楽しみながら丁寧に生きていく。それが今、できることと思います。

このビジョンは私がわからなくなったとき、迷ったときの暗闇を照らす光にします。








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