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眠るのが下手です

 小さい頃から眠ることが苦手です。疲れきって「寝て休むしかない」という状態、あるいは自分でも理由が分からない眠さに襲われた時しか、自然に眠ることができません。
 小学校に上がる前の子どもは、睡眠時間が安定しづらいらしいです。保護者が寝かしつけをしないと眠らなかったり、早朝4時や5時に目が覚めてしまう。確かに私も、それぐらいの年齢の頃は早朝に度々目が覚めて、居間で独りテレビ放送開始前のカラーバーを見たり、(今ではなくなりましたが)時差ネットや再放送の早朝アニメを見ていました。テレビが見たくて起きるのではなく、早起きしてしまう子どもでした。
 じゃあ寝る時間はどうだったろうと思いを馳せると、寝る前の記憶の最古のものは小学校2〜3年の記憶ということがわかりました。真っ暗い6畳程の和室に小さなオレンジ色の豆電球だけが点いていて、照明だけでなく雰囲気まで暗い部屋で布団に入っている幼い自分。寝る前に理由なく不安に襲われる性分だったからか、毎晩怖くて仕方がありませんでした。大人の人間でも、寝る前や深夜に理由なく漠然とした不安に襲われる人は少なくないため、私は生来このタイプだったのではと思います。
 眠る前の幼い私の頭の中を支配するのは、主にノストラダムスの大予言でした。そういう世代です。昭和生まれの人達は、皆あの予言に怯えたことがあるのではないでしょうか。私も7〜8歳の頃に小学生向けの本で読んで以来とても怖くて、大都市の人間が宇宙から降ってきた謎の光で大勢死ぬ挿絵が寝る前に思い出されました。今の児童書は、こんな漠然とした未来への恐怖を喚起する内容は載せないんだろうな……。
 とにかく、寝る前に布団に入っていると、死ぬことが怖くて仕方ありませんでした。死ぬってどういうことなんだろう、1999年に志半ばで死ぬんだろうか、死にたくない、という気持ちでいっぱいになる。
 恐怖の大王が人類を滅ぼすというノストラダムスの予言(実際の予言は別なニュアンスだったらしい)を児童書に載せた大人は裁判で訴えられても仕方がないのではと今でも思います。とっくに寿命で亡くなってそうですが……。
 こうして、睡眠の周期が安定してくるはずの小学生時代は、睡眠=将来の恐怖に襲われるという条件付けのようなものができてしまいました。寝るのが怖いのです。しかし母親の方が怖いので、仕方なく決まった時間に布団に入っていました。そして将来のことに怯えていると寝落ちていました。脅されて寝るような毎日でした。こんな幼少期を送っていたら、そりゃあ精神状態も悪くなるよな……。やがて寝る前に自分だけの神様のようなイマジナリーフレンドを創造して心の安定を計るのですが、それはまた別の話。
 小学校高学年になり思春期が来ると、この世には性的なものがあるということを知ります。その頃は家庭が崩壊しており、母親と年の離れた腹違いの姉(基本的に優しい)との3人暮らしでした。ただでさえ不在がちだった父親が突然消えて心身ともに弱りきっていた私は、将来なんとしても理想の男性と結婚したいという気持ちに支配されました。愛が重い女の第一歩です。それはそうと、寝る前は恋愛や性的なことに思いを馳せるようになり、恐怖の大王の予言で怯えなくなりました。頭の中のほとんどが性的な想像になり、楽しい妄想などをしながら眠りにつくようになりました。その反面、父親がいなくなったという埋めようのない心の穴もありました。やがてそれを埋めるためかイマジナリー彼氏ができるのですが、それもまた別の話。
 中高生の頃も、寝る前は性的な想像で乗り切れたし、勉強や学校で非常に疲れる日々だったので、眠るのは容易いことでした。高校は楽しかった一方で受験のプレッシャーもあり、布団に入ると急に涙が出てよく泣きながら寝たのを覚えています。誰にも見せない日記や創作ノートと音楽だけが慰めだった夜もありました。中1ぐらいから、自分でも引くほど長文の日記を書いていました。今も長文野郎なのですが、こうした思い出から実は自分が文章を書くことに恥ずかしさがあります。
 睡眠が下手な私は、大学に進学すると学生寮に入りました。家が貧しかったため、そうしないと生活できないからです。地方の国立大学の寮でしたが、政治や思想などの活動をしている人がいない自治寮だったため、温かくてゆるい環境でした。当時は4人1部屋で、ある日突然4人が同じ部屋で暮らすことになるというラブコメかエロゲーのような状況で、部屋にはカーテンつきの2段ベッドが2つありました。ベッドの中だけが個人のプライベートエリアだったので、私はベッドの内部に大好きな本や文房具一式、ポータブルCDプレイヤーなどを置いて、実家暮らしの頃は実現しなかった初めての自分の部屋を満喫していました。こうなると夜中が楽しくて仕方なくなります。大学に入った直後の燃え尽き症候群とも相まって、睡眠時間が一定しなくなっていきました。
 大学3年になると「いよいよ自分は精神状態がおかしいのでは」という不安でいっぱいになり、心理学科の先生が無料で行っているカウンセリングに通うようになります。それでも不安は消えず、思い切って精神科に通い始めます。なんとか就職をしたものの、漠然とした不安と不眠に悩まされ、ピッタリ合う薬もなかなか見つからず今に至ります。

 いったい人生のどこで眠るのが下手になったのか分かりませんが、こうして振り返るとずっと下手だなぁ……。家庭環境よりもノストラダムスの大予言のストレスが大きかったのは確かです。