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2023年5月〜8月の雑記

※6月と7月の記録に、ペットロスのくだりがあります。心が弱っている方・悲しい記録を読むのがお辛い方は飛ばして下さい。


🎏 5月
 4月の終わりから東京に来ていた。ニコニコ超会議に行くためだ。
 私はニコニコ動画をサービス開始から見ており、私にとってメインのハマりものとなることはなかったが、気晴らしのためや料理の勉強のためにお世話になった。だけど今回の目的は、超てんちゃんのブース。そのためだけにゴールデンウイークの前半に東京へ行く決意をした。
 一体どんな人達が超会議に行くのだろう、やっぱ若い人が多いのかな、自分が浮いてしまわないだろうか…………という杞憂で胸がいっぱいになっていたが、幕張メッセに到着するや否や、その不安と「どうせ自分はみんなと違う浮いた人間」というひねくれた心が綺麗サッパリ吹き飛んだ。本当にあらゆる年代のあらゆる人がそこにいたから。
 それに、なにしろ風も強かった。海風なのだろうか、私が行った2日目は曇りの天候だった。
 私がコミケにサークル参加した最後の年以来の大規模オタクイベント。10年振りどころじゃない。コスプレイヤーさん達のレベルが現代では桁違いで、道行くコスプレイヤーさんを見ただけで「このイベントに来てよかった、オタクはやっぱりオタクだ」というシンプルな喜びに大興奮した。
 超てんちゃんブースのことはそのうち改めて記事にするかも。


🎏5月 その2
 飼い猫が18歳になった。3〜4年ほど前から、毎年この時期に胃腸の調子がとても悪くなる。今年は最も酷く、毎週のように獣医さんで診てもらった。
 緩和ケアをしながら様子を見ることになった。食事と排泄が極端に回数が減った。下血が止まらない猫から、いつも血のにおいがする。家中が血のにおいになった。お別れが近いのを覚悟した。


🌧️6月
 ある日曜日の深夜のこと。月曜日に変わる夜。今夜が猫とのお別れかもしれない、と夫が言った。猫はもう大きなクッションに寝たきりで動けなくなっていたが、それでもたまにフローリングの床に這いずるように移動した。もしかしたら発熱があって、冷たい場所を求めるのかもしれない。あるいは、姿勢を変えたいだけかもしれない。そっと支えるように移動を手伝う。
 3時40分ぐらいのことだった。猫が小さく鳴いて、クッションから起き上がり、移動しようとしたところで動かなくなった。
 私は、すっかり痩せこけた猫をそっと両腕で優しく抱きかかえて、何度も名前を呼んだ。親の死に目にも会ったことがない私が、初めて大切な存在の臨終を見た。抱きしめて涙を流しながら、何回も名前を呼ぶ。大切な誰かを目の前で失うと本当にこんなふうになるんだ。
 猫は、もちろん返事もせず動かなかった。
 火葬場に運ぶまでの間、大きなダンボールの内側に毛布を敷いて、保冷剤や氷を入れまくった。真ん中に開けてある空間に、大きなバスタオルに包んだ猫を置く。そっと箱を閉じて、更に上から真冬に使う分厚い毛布をかけた。
 ただただその光景が悲しくて寂しくて、涙が止まらなかった。これを書いている9月も、未だに泣いてしまう。
 夫が車を運転して山奥の火葬場へ猫の箱と一緒に行った。私と夫と猫で出かける最後のおでかけだった。骨になって帰ってきた猫は、私の部屋にいる。
 だけど、食事を邪魔しに来たり、夜に一緒の布団で寝たり、出かける私を見送る猫はもういないのだった。猫は私に最も懐いていて、私の布団が大好きだった。猫用のベッドを全然使ってくれない。それに、猫に逃げられがちな私を唯一気に入ってくれたのは彼だけだった。もう1匹、大きなメインクーンを飼っていたことがあるが、18歳で亡くなった猫の次に2匹目として迎えたのに、心臓の病気で4歳で亡くなってしまった。
 私と夫の年齢や健康状態から、もう猫を新しく飼う事はない可能性が高い。正直な話をすると、とても寂しくて悲しくてたまらない。


🎋7月
 猫がいなくなってから、外にほぼ出られなくなってしまった。特に、スーパーなどの明るいワイワイした幸せとリンクしたイメージの場所が苦手で、買い物はネットスーパーか夫に頼んだ。
 とにかくあまり記憶がない。毎月通院している病院も、電話をして薬だけもらったりした。驚異的な猛暑が始まったことはよく覚えている。


🍧8月
 世の中の親にとって、長い夏休みは毎年の大きな試練だ。しかし私は少し心と体が弱く、気晴らしを挟まないと乗り切れない。そういうわけでニディガ展と少しの東京旅行に単身行ってきた。これはまた別な記事にするかも。
 東京は「これが日本なのか?」と疑うほど暑かった。5分も外を歩けば私のように暑さに弱い人間は大ピンチになる。なんとか旅行から帰ってきても、帰省を前に人がごった返していてどこも暑いのだった。


🎐8月その2
 夏休みにさまざまな事情から家族旅行に行けないため(私が単身で行ける程度の余裕しかなかった)、インドアで暮らす娘にSwitchのダンガンロンパを与えた。
 私は最初のダンガンロンパが発売する前から当時のtwitterで応援していたほどこのシリーズが好きだ。しかし……娘が生まれてからは、毎日毎日以前のようなゆとりがなく、アニメの希望編・絶望編とゲームのV3以降を体験していない。V3の限定版は段ボールに入ったまま家のどこかにあるという体たらくだ。それぐらいいっぱいいっぱいで生きている。今やSwitchで3作+ハッピーダンガンロンパが1本にまとめられているので、本当に良い時代になったものです。
 娘は7月中に2までクリアした。恐ろしいほどの暑さであまり外出できないため、家にいる時間が長いのです。私が東京に小旅行に行ってる間、娘はアニメを全て見た。私は相変わらず3のアニメとV3とハッピーダンガンロンパを体験していないため、ネタバレに配慮した感想が娘からLINEで届く。いつも彼女は興奮していた。嬉しい。
 やがて娘はV3もクリアした。もう大興奮で、毎日ダンガンロンパの話ばかりする。嬉しい。このゲームを贈って本当に良かった。私はアニメの3は途中までしか視聴できておらず、V3は全然手つかずだ。
 なぜV3を娘だけプレイした状態になっているかというと、実は少し意図的なものもあります。「自分より先に、自分の子どもがダンガンロンパシリーズを体験している」という、人生で1回しか味わえない時期を満喫するためです。親がプレイしたらこの貴重な時期は終わってしまう。娘がネタバレに配慮しながら話してくれることが嬉しく、面白いのです。
 ダンガンロンパシリーズは、私にとってミステリーの名作という枠を超えて、いつか娘に話そうとしている大切な話と関係があります。その話ができるぐらい成長し、情緒が育ったことが嬉しい。
 そして8月下旬、夏休みを倒しました。やり遂げました。やったぜ。夏休みに努力した全ての保護者さんとお子さんに私は敬意を表する……!!

でも、まだ夏休みの疲れが残ってるので、もうちょっとだけぐったりした日々は続くんじゃ。猫がいない夜は、やっぱり毎日寂しくて涙が出るしさ。

また少しずつ気まぐれに記事を書いて行けたらと思います。宜しくお願いします。