「葬送のフリーレン」について雑記-1/勇者パーティの不遇について

<PL法>
アニメ化されて、今更ながら勇者パーティーの不遇さがすごいなというエントリになりますが、以下アニメとコミックスの描写からの妄想になります。
強い強い幻覚を見ています。でも本当に不遇そうなんだもの!

魔王を倒し凱旋したのちに、仲間と別れて半世紀ほどふらりと旅にでたフリーレン(千年以上生きるエルフ)はまあともかく、勇者であるヒンメル、王都にいるけど全然贅沢な暮らしをしていない。
アニメでコミックスの行間を美しく可視化されて正直「う…」ってなった

全ての異世界ものにおける勇者がそうだが、魔王を倒す(つまり国の軍事バランスまで崩すほどの)強い勇者というのは、凱旋してきた後、全ての国が扱いにこまるものである。
もとから爵位がある家なら勿論そのバランスは崩れるし、平民出身ならもう、叙爵して王家か国を支える侯爵家かなにかと婚姻関係を結ばせ、国に忠誠を誓わせる位しかないのだ。なぜなら魔王を倒すほどの力を持ち、英雄として民衆の信頼も厚い勇者なんて、王にとっても国の政治からみても面倒な存在でしかないから。王の血族にとりこむか、国のシステムにとりこむか、しかない。軍事バランスが崩れるから。

しかし勇者・ヒンメル(平民で孤児だ)、描かれてたように、王都には住んでいるが住居も以前と変わってない、家に使用人すらいない暮らしをして、生涯独身。たいして贅沢な暮らしをしてるようにもみえないインテリア。
全てが「国から大事にされてない」のだ。
おそらくだが叙勲の申し出もあったろうが、それを断り、町にとどまり、昔の家でくらしたまま「大事な旅の仲間(フリーレン)から預かった禍々しい角みたいなやつ」を部屋にのこし、封印したクヴァールの様子をみにいったり、破壊された町をアフターケアして歩いてたんだろう。
ヒンメル自体はすごい二枚目なので、女性にもモテたろうし、どこぞの姫君との婚姻という王のシステムに組み込まれるお誘いもあったはずだが、全部断ったんだな、って思う。
それはフリーレンへの愛なのだろうが、それにしてもあの暮らしは。
報奨金くらいはちゃんと出たのか。旅立ちのときははした金で旅にだされたようなパーティーだとしてもだ。凱旋してもどってきたんだよ。世界を救ったんだよあのパーティー
どっちにしろ王家にはやっかいものだったに違いない。

僧侶・ハイター(こちらも平民で孤児)にしてもそうだ。彼は作中「2年くらいは飲まず食わずで戦える」みたいな補助魔法をかけられるくらいのレベルの僧侶で、凱旋後半世紀経った頃には聖都で大司教を務めていた。僧侶クラスとしては上り詰めたんだが、引退後は森のちいさな小屋でフェルンと暮らしていた。
あの暮らしも実にじみだった。世界観的に婚姻はまだしも、ナーロッパ的な発想でいえば、大司教ともなればいい暮らしをしててもおかしくないのにあの地味な暮らしは。
勿論ハイターは戦災孤児であるフェルンを拾う迄、お酒をやめられない等の悪癖(とヒンメルより長生きしてしまったという後悔)はあり、政治は苦手そうだから引退後の栄誉なんて望んでなかったのだろうけれど。
聖職者が引退後に叙勲もされてないとか、やはり彼が貴族出身じゃないから色々あったんだろうと推察されて辛い。
家にはそれなりに貴重書があるようだが、有り余る財力で稀少本を買い集めてたってかんじではなさそう。暮らしが地味すぎる。優遇されてない。

戦士・アイゼン(ドワーフ。長命種。死ぬほど固いパーティーの盾役兼戦士)は、旅立ち前に既に故郷を魔族に襲われ、妻子を失っている。凱旋後にはどこかすごい崖っぽいところでぽつねんと一人のくらしをつづけているが(ただし郵便は届く)、こちらのくらしもずっと地味なままだ。皆報奨金とかもらえなかったのか。
本当にあの国はクソすぎる。

フリーレンの世界のヒトは、長生きして70年程度だと思うが、それにしても魔王を救ったようなパーティーの勇者とその一行が、たった半世紀でわりと忘れられてるのもきつい。
ここから鑑みるに王の世代交代があって、勇者パーティーに関わる人間をことさら忘れようとしたのではないか。二代目が勇者とたいして年齢も変わらずカリスマがない場合、凱旋後も各地に旅に行き民衆を助けることを続けて居たと思われるヒンメルを擁立しようという声が地方貴族や軍閥等からあってもおかしくない。当人絶対やる気なんてないだろうけど、噂だけでも王家としてはもう勇者一行の華々しい冒険譚を封印するしかない。

アニメでは祭りのシーンもかかれていて吟遊詩人もいた。魔王討伐なんて吟遊詩人恰好のネタだろうに、たかが半世紀であそこまで銅像がさびたりして放置されるものかと思う。だってわれら未だに曽我兄弟の話とか赤穂浪士とか大好きじゃん。
意図的に、国の政策として勇者一行は<おとぎばなし>になってしまったのだ。<おとぎばなし>になったらそれはもうただのフィクション。子供の喜ぶ人形劇みたいな形でしか残らなかったのではないか。
フリーレン達が(そしてまだ出て来ないけど南の勇者をはじめとする数多の勇者や魔法使いが)命をかけて倒した魔王はおらず、魔族ももう辺境にしか現れないほぼ平和な時代が訪れ、人がその冒険を<おとぎばなし>として消費する時代。
それはいいことなのだろうけれど、あまりにも残酷だとおもわんか。

という幻覚をみたのだ。強い幻覚はなかなかとけない。
それくらいアニメは素敵でした。

YOASOBIのOP、最初は曲が強いなっておもったけど、PVで歌詞よんで、話をなぞりすぎててうおおおってなりました。ちゃんとみてないからよくしらんのだが「推しの子」もきっとそうなんだろうな。
アニメ化することで、ヒンメル→フリーレンの感情導線がきっちりひかれてる演出もわかりやすくていいなってなりました。

それよりあのゼーリエ様の出方さ、あれ原作しらんひとがみたら、あれがラスボスだとおもうよね…w 不憫なりゼーリエ様。

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