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不可思議/wonderboy

不可思議/wonderboyのポエトリーリーディングに出会ってちょうど七年程が経った。

彼が亡くなって昨日で十年。

高校二年生の頃、YouTubeで彼の曲にたどり着いて、興奮しながらハマっていったのを覚えている。

たしか一番最初は、『世界征服やめた』を聴いた。『もしもこの世に言葉がなければ』が刺さった。『所信表明演説』は何回も聴く度にこれだから好きなんだよなあってニヤける。

『Pellicule』
十七歳だった私は、思い返すにはまだ早いのに、中学の同級生を想って思い出に浸ったりした。詩にある流星群のエピソードに似た経験をした。
中学三年生の頃、たしか秋を少し過ぎたある日、流星群がみれる日だと天気予報などで言っていた。クラスでは「今夜みんなで流星群を見に行こう」と話が進む。地元にある小さな山一面が公園になっている場所へ集まろうとなった。それを耳にした担任の先生は、夜にあまり出歩かせるべきではないと無視できなかった。「他のクラスには言わずに、遊びではなく理科の授業のつもりで、先生も行く」そう判断をしてくれた先生は、私たちの青春を彩ってくれた。
時間だけが流れて、星なんか流れなかったけど。


難しいワードやオシャレな歌詞ではない、
言葉と言葉の紡ぎ合わせ。
私はそういう音楽に初めて出会った。

私は、ポエトリーリーディングが好きだ。
不可思議/wonderboyが好きだ。

ライブ映像もいくつかみた。
真っ直ぐ燃えている姿が、好きだ。

いてもたってもいられないほどに好きを重ねてそれから、彼がもうこの世にいないことを知った。

「もう、新曲を聴くことはできない」
「こんなに"生"を感じられるライブを実際にみることはできない」

そう思った時にとても悔しい気持ちになった。こんなにも私に必要な音楽だと気づけたのに、手が届かない。本当に悔しかった。

その二年後、七夕の日。
恵比寿で開催された作品展へ訪れた。多くのファンで埋まっていた。最後に会場全体でPelliculeを口ずさんだ。楽しかったな。


不可思議/wonderboyには会えないけれど、
不可思議/wonderboyの音楽は続いてゆく。
これから彼の曲に出会うひとも多い。
いま存在する彼の曲はずっと、古い曲にならないと感じる。このまま、生き続ける。


毎年、七夕には『銀河鉄道の夜』を聴く。

「今はありがとうとかまた会おうとかありふれたことが言いたい」


もう彼が生きた歳よりも私のほうが長くなってゆく。ついに超えてしまう。



私は、ポエトリーリーディングがやりたい。
形にできないまま過ぎてしまったけれど、そろそろやるべきだよ。やってみよーー

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