文劇3から一年、本屋でお見合いができた話

部屋に本が増えた。あれだけ減らしていたのに。


本を減らしたのは本棚に収まっていなかった事と、それからお金が欲しかったからだった。今の時勢になる頃、私は一度仕事を辞めていたので、いつ見つかるかわからない仕事の事を考えると少しでも手元にお金を増やしておきたかった。

本を手放して空いた本棚を見て虚しくなったのを憶えている。心を削り落としたような、そんな心地だった。本は小さな頃から――小学生時代から――ずっと貯めていた、私の財産だった。その大半を手放して、ただ本棚の前に座って、残した本を整頓しながら、まだいてくれてありがとうと涙ぐんだ事もあった。それからしばらく本は買わなかったし読む事も減っていた。

その後、無事に仕事が見つかり、私は働いていた。通勤中の出来事だった。フォロワーのふせったーを偶然見たのだ。

何かの舞台で萩原朔太郎が死ぬらしい。

それが私と「文豪とアルケミスト」の出会いだった。


「月に吠えらんねえ」という漫画の主人公は、萩原朔太郎という詩人の詩を元にしたキャラクターで、私の本棚から一度消えた漫画だった。大好きだった。下鴨神社の古本市で「月に吠える」を買うくらいには好きだった。だけど手放していた。売って、お金にしてしまっていた。私はそのお金で別のものを買っていた。その癖、萩原朔太郎の事は好きなままだった。

舞台に久しく行っていなかった事もあって、私はそのフォロワーに一度確認をとってから、当日引換券を購入した。確認してから購入まで、LINEのログを見てみたら十分程度だった。この行動力のおかげで、私は「綴リ人ノ輪唱」の公演を見る事が出来た。


「綴リ人ノ輪唱」、通称劇3の事はさんざんブログに書いているのでもう書く事も無いと思うのだけれど、とにかく私は久々に演劇を見たし、小説というもの、作家というもの、そして小説を書き続けている私の気持ちを、再確認して帰路についた。涙に濡れてどうしようもない二枚目のマスクをつけながら。


本も、服も、グッズも、色々なものを手放した。がらんとした部屋の中で、それでも小説を書く事だけは止められなかった。それだけしかなかった。だけど、本当は、手放しちゃいけなかったんだ、というような事を思った。

本は、何よりも大切なものだった。私にとっては。小さい頃の誕生日やクリスマスのプレゼントに、叔母が書店に連れて行ってくれた。百貨店に入っている大きな書店だ。そこに、籠を持って、気になったのは全部入れていいよ、と言ってくれたのだ。私は年に二回、かごいっぱいの本を買って貰って、読んでいた。小説も絵本も漫画も写真集も、私の大切なものだった。私は、たくさんの「お見合い」をしていた筈なのだから。そして見つけた本たちが、私の本棚にはいてくれたのだから。


今、私は本棚を増やして、本を買って、毎日なにかしらの頁を捲って生活している。書写を始めたので、一日の終わりに、好きな文章を書き写す事にしているのだ。その文章を探している時間が好きだ。とても、満たされている。豊かになったと思う。潤っている。私の中身が、きちんとあるような気がしている。


「文豪とアルケミスト」と出会って随分増えた本の中に、「共謀小説家」という本がある。蛭田亜沙子著、双葉社から出ているソフトカバーの本だ。出会ったのは、偶然にも、奇跡的にも、叔母がいつも連れて行ってくれていた書店だった。たまたま、並んでいるのを見つけて、随分悩んだ挙句に連れて帰る事にした。あんまり悩んでいるので母が自分の購入予定だった雑誌と一緒に買って読みなさいとくれたのだが、私はこれを何日かに分けて少しずつ読んでいった。

面白かった。作家の妻の話だった。小説家の女の話だった。どれだけ醜悪でも、恥をかくのだとしても、書かずにはいられないひとの話だった。読み終わって、好きだと思って、胸に抱いて、出会ったな、と思った。私は「お見合い」をしたのだ。

近代文学の本に関して、殆どネットで購入していたせいなのか、書店で本を見つけて買う、という事が、こんなに、なんと形容するべきかわからない事なのか、忘れていたのかもしれない。ネットで買っても、勿論本の内容は変わらない。ことばひとつに感動して涙を流す事もある。「共謀小説家」に関しては、私は泣くような事は無かった。だけど、本当に、ああよかったと思ったのだ。

そうして、本棚を増やして、本を増やして、今に至る。

太宰の本を繰り返し読んだり、詩集を捲っては涙ぐんだり、小説を読んで感嘆したり。文学館に行ったり、好きだと思った一節を書き写したり。好きな役者が増えたり。私の生活は一時期に比べて随分変わった。ここ一年の話だ。劇3のおかげで、ようやく私らしい生活、を、取り戻せたような気がしている。あの日ふせったーを踏んで、勢いでチケットを買って、観劇した事を、ありがたくすら思っている。


――というような事を、劇3から一年経った頃に書こうと思っていたのだが、気付けば劇5まで決まっている世界に来てしまっている。ひとまず今は、劇4の観劇が堪能できる事を祈るばかりだ。個人的に、東京公演のシアター1010は初めて観劇をした劇場でもあるので、そしてその演目は「RE:VOLVER」だったので、何が何としてでも「堪能」したいのだ。 とにかく私は、劇3に出会ってから、「文豪とアルケミスト」に出会ってから、以前よりもからだのなかみを満ちた状態で生きている。たった一年、出会っただけで、私を戻してくれた事を、ずっと憶えて生きていたい。まだまだ本が増やせる本棚の前で、どんな本と出会えるか、考える幸福を噛み締めながら。

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