物書きとしての至上の幸いを得た話

はじめて小説を書いたのは十一歳になった頃だった。小学五年生の、国語の時間で、ある一枚のイラストから書いた猫の話だった。そしてその小説はどうやら市の冊子に載る事になったようだった。当時は中学受験に向けて遅くまで勉強していたのに、その勉強の後に小説を書き直して、学校に行って担任に提出して、担任の添削を受けて、学校を過ごし、塾に行って、帰宅してからも勉強をして、それから小説を書き直して、少しだけ仮眠をとって学校に行って担任に提出して、という生活を暫く続けた。小説は無事に他の小学生たちの作文等と一緒に冊子に載り、賞状も頂いた。あれが私の中で、小説を書く事が好きになった切っ掛けだ。

小学生の頃から、小説を書いている。同時に、本を読んでいる。小学生の頃から今に至るまで読んでいるのは、喬林知と梨木香歩、それから、江國香織だ。短編を小学生の頃に塾の先生に薦められて読んで、中学にあがってから、「きらきらひかる」や「神様のボート」等を読み、その二冊は今でも読み続けている。
江國香織が好きだと、中学の頃の塾の先生に言った時、「絵画的な文章が好きなんだね」と言われた事がある。私は、これは梨木香歩の文章を読んで驚いた事なのだけれど、まるで濃い水の匂いがするようで、水に濡れた草の匂いが、梨木香歩の本からは漂っているようだった。そういう、五感に訴えるような文章を書きたくて、私は四苦八苦し続けている。

小説を書くのは、星が綺麗だと思った中学生の時、それ以上の言葉が見つからなかったからだった。この美しさをどうして書き残す事が出来ないのだろうと、その事にショックを受けて、私は、いつかあの星空を――きっともう、思い出の中で美化されてあの星空ではなくなっている事だろうけれど――私の言葉で書き表すのだ。そのために、小説を書き続けている。書く事を学ぶために進学もした。その中で、エッセイというものにも、出会った。
エッセイは、自分をあまり認識してほしくない私にとっては、書く事は苦手な部類の文章だった。だけれど嘘を貫いてくれるなら書いてもいい、と言われて、随分気を楽にして、結局嘘は書かずに大学に在学している間、沢山エッセイを書いた。今も、偶にだけれど、書いている。


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前置きが長くなったのだけれど、私のそんなエッセイや、そして小説を読んで、その影響を自分の文体に及ばせてくれたフォロワーさんがいます。その感動を残しておきたくて、今回、あまりオタクの活動についてではないのですが、noteを書いています。

不定期便と称して、フォロワーさんからは書写を、私からは小説や詩やエッセイを載せた冊子を、交換するように送り合っているような日々を過ごしています。今は、ひとまず三往復。私の冊子の方は、タイトルを「春の缶詰」と称しています。私の一等好きな季節です。花に溢れていて、好きな種類の花が沢山咲いて、過ごしやすく、日向ぼっこに最適で、淡い色が良く似合う、スカートで歩く事が気持ちの良い季節です。春は、私が生まれた季節でもあります。だから、私の季節、だと思っているのかもしれません。とにかく私は、私の好きな、何より綺麗だと思っているものを、並べて、詰めて、綴じて、フォロワーさんに送っています。

フォロワーさんは、小説を書く人です。あまり頻繁に、ではないのかもしれないけれど、彼女の本を私は一冊、大事に持っています。仲良くさせて貰えている事がとても嬉しくて、書写に関しては憧れていて、あんな風に字を書けたらと思うばかりで。そんな相手に、殆ど意図せず、私の文章を感じる文章を、書きあげてくださったようでした。

ご報告を受けた時、私は寝起きで、半分眠りながら来ていたそのフォロワーさんからの別件のDMに返信をしていて、そこにツイートを送って頂いてようやく事の次第を知りました。それでも暫く頭は眠っていたので、他のフォロワーさん達がすごいすごいとツイートしているのを見て、ああ凄いのか、そうか、と、なりました。

私とそのフォロワーさんは、舞台「文豪とアルケミスト」第三弾の「綴リ人ノ輪唱」の、感想会でご縁を持ちました。文アルの方なら、もうわかると思うのですが。私が呑気にブランチになるハンバーグを温めている間に、他のフォロワーさんたちからは主題歌の「魂となりて」を私とフォロワーさんのために流して頂いてました。

もし、文章を書く人で、劇3を見ている人であれば、私の感動も、涙の滲んだ理由も、わかると思います。
だって、私の文章を、継いでくれた人が、この世に一人いる。私が書いたから。私が書いたから、書いた文章があって、私が書いていたから、好きになってくれて、私が書いていたから、ネットにはたくさんの創作者さんがいるのに、私を選んでくれた人が、そうして私の文章を、私の手から離れて息をさせてくれている。

もうしんだっていいと、ほんの少しだけ、思ってしまいました。

愛してるよって言われるよりも、ずっと嬉しかった。

私はずっと、自分の書いたものが誰かの何かになれば良いと思っていて、同人誌をお渡しする際は随分そういうような一文を添えてお渡ししています。それが叶ってるんだという事があからさまにわかってしまったのです。私の文章が、あったから、生まれた文章が、この世にあるんだから。

私自身はあまり最近小説もエッセイも書けていないけれど、でも、ああ書こう、沢山書こう、そう思いました。書いて書いて書いて、きっと最後が最期の字になる時まで物語を紡いでいたい。そう、考えています。

憧れの誰かのような存在に、私もなれたのかなあなんて、そんな事が、心のどこかにずっと温もりを持ち続けています。
ありがとうと言いたいし、あと、きっと、きっと私の書いたものを、また読んでくださいね、と言いたいです。


それでは長くなりましたのでこの辺りで。
これからも、たくさんのものを書いて生きていきたいです。