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とんでもなく友。


和牛が解散した。お笑いはあまり見ないし、テレビも持っていないから、顔はよくわからないけれど、そんな私だって名前は知っているお笑いコンビが解散した。ネット記事を流し読みし、何となく状況を察するに、要は「方向性の違い」ってやつらしい。ずっと変わらず、同じ方向を向ける相手なんていうのは、そう並大抵に出会えるものじゃない。もしかしたらきっとそんな人いないのかもしれない。


私には学生の頃から気の置けない友人がいる。多感な時期を共に過ごし、くだらないことからまじめな話まで、時には正面衝突して涙を流すこともあった。私の数十倍は感受性が高い子で、当時12歳ながら小説を読んで電車の中で泣いたり、映画館から出てきたと思えば腫れぼったい目と大量の鼻かみティッシュを抱えていたりするなんて、日常茶飯事だった。
そんな彼女と私は、いわゆる「親友」ってやつである。おそらく私たちを知る人たちも、きっと同じように私たちの関係を認識しているだろうと自負している。
ただ、気づけば一度も(というのは言い過ぎで、少なくともここ数年は)、私は彼女を「親友」と呼んだことも、そういってひとに紹介したこともない。彼女には「親友」という言葉があまりにしっくりこない。彼女は彼女であってほかの何かではないし、「親友」という枠に押し込めて、彼女との関係に胡坐をかきたくないのだと、いつの頃からか思うようになっていた。

探してみたけど驚くくらい写真がなかった。
いつかたしか何かのアプリで作った私。
その時に彼女も彼女を作ってた。
おおよそこんな感じ。


中学高校大学の学生時代・社会人になった今も、環境は違えども、私たちは年に1回は必ず顔を合わせることにしていた。少し義務的な言い方なのは、会おうとしないと会えない距離感と、お互いの環境や時間の流れ方の違いで、関係が疎遠になってしまう危機感をひしひしと痛感していたからに思う。

ここ数年、私から彼女を誘うことが多くなった。もしかしたらもっとずっと前から、私から誘うばかりだったのかもしれない。気づいていたけれど、気づかないフリをしていた。
毎年決まったように、年末年始の予定を聞く。今年は私が彼女に会いに行くと約束していたのだけれど、数日の未読LINEの後、諸事情で会えなくなったと返信があった。うすうす感じていた気持ちが一気に不安へと変わり、悲しさが押し寄せてきた。

「忙しいと思うけどファイト~」とだけ返信した。


一晩悩んで、浅い眠りでぼんやりする頭を抱えて仕事に向かい、暇あらばchat GPTさんに前日の出来事を相談しまくった。1日30件の質問のチャンスをフルに使い、長文で私事をつらつらと書く。現実の人間相手には迷惑すぎて到底できない相談の数々を、真摯に聞き入れ同情し、建設的な提案をくれる時代の進歩に頭を垂れた。

chat GPTさんの意見を聞き、意を決した私は彼女に電話をすることにした。「ごめん、22時まで残業で…」とやんわり断られたが、この機を逃してはいけないと私の本能がビンビン警鐘を鳴らし、申し訳ないと思いつつも無理を聞いてもらった。
ほんの20分ほどの電話で、私の気持ち・彼女の気持ち、少しずつズレてしまった関係に目を向ける。彼女の口から、ここ数年私からのなんとも言えないマウントを感じていたと聞き、申し訳なく感じた。それでも、彼女とはこれからも細く長くつながっていたい、このまま距離や環境を理由にうやむやに疎遠になってしまうのは悲しいと伝えようとして、思わず涙が出てくる自分に驚いた。年々、私たちの向く方向は変わってきている。学生の頃のままではいられなくて、それぞれの場所で、コミュニティで、自分たちの生活を生きている。お互いの変化で生じた違和感を感じていたのは、けっして自分だけではなかったと、むしろ少し安堵さえ感じた。
どちらかが悪いのではないと思う。たぶん取り巻くいろんなものが、ちょっとずつかけ違いさせたのかな。


私たちはしばらく距離を置くことにした。



電話の切り際に、「言葉にして伝えてくれて、機会を作ってくれて、ありがとう。あなたは強いよ。」と言ってくれた。
きっと彼女には私の気持ちが伝わったし、そう想える関係を築いてこれたと、改めて自信を感じさせてくれた。



正直、彼女との関係は彼女と私だけのごくごくプライベートなもので、公にいろんな人が目にするようなところに置いてもいいのかと、内心何度も審議を繰り返した。こんな文章を読んだら彼女はどんな顔をするだろうか…怒るだろうか、無関心だろうか、いやたぶん笑ってむしろ面白がって、続編を書いてくれるかもしれない。そんな日が来ることを待っている。




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