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1.JANUARY 2019 寄る辺のない人

分かりあえる、一緒だ、共有しているという感覚を重んじる現代のなかにそれでも崩れない孤独や哀しみを見つけて胸が痛くなった。

でも、それがひとつの身体と精神であり、ひとりの人生を生きるということなのかもしれない。

ひとつの悲しみと、また別の悲しみがその隣に横たわったときに
愛するということの最終確認の裁判が行われる。

──あなたとわたしは違う人間である。

なかったことに、気付かなかったことにしたらどれほど幸せだろうか。

幸せにはなれなくても深い傷は負わなくてすむ。
それでも人と人が近づいた先に何が待っているのか。

壊れてしまうかもしれない未来を据え置き、真実に触れようとするのはなぜ──。

知らないで愛することは簡単で、知ってもなお愛せるものがホンモノだと思っていた。
でも知らないことで見えない美しさというものが救いになる時もある。


新明解国語辞典で【愛】をひくと
【一度失ったら再び取り返すことの出来ない自然をいたずらに損なわないように注意する心構え】

とか
【自分という存在を無二の使命を持つ者と考え、 自重自愛のかたわら研鑽に励む心情】

と書かれていて、
これだけみても愛は人と人とをくっつけるものだか引き裂くものだかわからない。


――今思うところは、対人で言えばじぶんの手が届かない場所にあっても幸せを祈れるということだけなのだけど。


どこか自分と外れたところにあった世界が、時代と社会が繋がり、言葉を丁寧に解きほぐすことで意識が広がっていく時間のなかで個々の人生を捉え直す。


                ✳✳✳

これまで如何に反省という呪いの鎖に繋がれていたか。

峻烈でストイックと言えば聞こえはいいけど、
自分を責めることでどこか安心もしていたのかもしれない。

反省はいつでも出来る、悔しさもきっと感じられる。
それで生きてきた足あとはそう簡単には消えない。

それ以上に今、目の前にあるギフトを心を開いて受けとりたいという思いが、
失敗も弱さも包み込み溶かしてくれる気がした。

一瞬一瞬に感じる気持ちを消したくはないから、
声は聴くけどそれに縛られたりはしない。


新しい風が心に吹き込んだ。

  
                ✳✳✳

新しい目標ができた。

心から愛するひとに「好き」とか「愛している」とまっすぐに伝えたい

…と同時に
伝えたい気持ちに走りすぎずに、

相手に届いたところまでを心の目でみつめること。


いつだって自分が不安になりたくないから、
わたしの言葉で思いを回収してしまう。

相手の中に広がる言葉をみつめる姿勢をこれからはもっともっと大切にする。

(写真:もち)

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