心を寄せる

わたしが心奪われるものはたくさんある。今宵の月も、流行りのワンピースも。宝くじは買わないけど、当たったら何につかうか至極マジメに考えてしまったことがあるひとは、少なくないんじゃないかな。

仲良くして頂いているアーティストのかたがいる。そのかたは石を彫って様々な作品を生み出す。その新作を見せてほしいと我儘を言ったところ、願いが叶ってしまった。コンスタントに送られてくる新作を、わたしは黙って拝見することが出来ない。モチロン、感想文を叩きつけることになる。しかしわたしは作文屋さんゆえ、文章がえらい長い。削って削ってなんとか読んでもらえそうな長さの感想文を送ることになる。

本題。試しに此処に、削らない感想文を載せようと思う。わたしの気持ち悪さに白目を剥いた良い子から寝るように。

それはアゲートのキノコだった。かさの部分は乳白色。角度をずらせば美しくヒダが刻まれており、外被膜はグレーなのだが、まるで地面の電気を吸い上げたように雷模様も見てとれるのだった。そして愛しくも、キノコは独りじゃなかった。ふたつがぴったりと寄り添い、そして決して離れない『なにか』を感じさせるものだった。

このアーティストのかたの作品はとても面白い。確かに見たことがある、これがなにかはわかる、という作品でさえ、まるで夢の中にあったもののように『知ってるけど識らない』掴み所のなさがあるのだ。恐れずに云うと、作品のほとんどが、産声をあげたばかりの赤ちゃんのように初々しいのである。こなれていないというか、このかたは本当に、女性の出産のような精神で作品を『産んでいる』のではないか?と思えてしまう。そんなだから、石という特異な材料にもかかわらず、邪心や邪念がない。

原石からキノコになるまで、幾日かかったのか。どんな場所に保管され、どんな声を聴き、どんなひとのもとへ行くのか。この作品はどうにも夜が似合う。アゲートだからかもしれないけれど、真っ暗な夜の森の、昼間木陰として鹿が休んでいたようなところに、そっと佇んでいたような気がする。誰にも食べられなかったのは、毒があるからじゃない。たぶん、、、最期のキノコだったから。流星群や満月を愛でたキノコたちは、それはそれはたくさんのお喋りをしたことでしょう。

キノコたちに「文字がわからないのは不便かい?」と訊ねれば、さも当たり前なかおをして「文字がわかるのは不便かい?」とこたえるだろう。そりゃそうだ。己のやり方で伝えていくしかない。伝えたいことがあるうちは。

乳白色の傘を透かせて、ぴったりと寄り添って、誰かのおうちでしあわせを願いながら、キノコたちのお喋りは続く。

https://minne.com/items/23340094

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