探求からわかる本質
小さい頃は、
いつでもどこでも、
どんな小さなことでも、
気になっていた気がします。
その探求心は
どこにいってしまったのでしょうか。
いつでも探求心を持つ。
このことは大人になっても重要なことなのではないでしょうか。
というか大人こそ必要なことかもしれません。
自分自身、探求心が薄れてきた頃から
新たなものの創造や、ことの本質を捉えることに弱くなったと感じています。
そのことに気が付き、
意識して探求するようになってから
ことの本質に気がつくことが多くなったと感じています。
部屋の中で植物を育てているのですが、
時期によって虫が湧くようになっていました。
植わっているものが原因であろうとは思いつつも、
その決定的証拠を発見できていませんでした。
そこで他の可能性が完全には否定できないと思い、念入りに観察していました。
すると、原因は植わっているものではありませんでした。
なんと土だったのです。
それに気づいて以降、土を使わない栽培手段への変更を考え、その手段として水耕栽培が思い浮かびました。しかし、循環しない水は逆に虫を増やすことになってしまいます。そして調べた結果、土の代わりに多孔質の小石を使うハイドロカルチャーを見つけ、今は試験的に一部をハイドロカルチャー化しています。
探求を意識していなければ、
植わっているものが原因であろうと言う前提のもと、
真の原因である土に行き着くことことなく、
「植物から虫が湧いてしまっているけど、せっかくの育てた植物だから諦めよう。」
という結論に至り、解決されることはなかったと思います。
いつになっても探求は重要です。
新たなことを創造するためのも。
ことの本質を見つけるためにも。……
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