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映画「宮松と山下」

先日「宮松と山下」を観に行ってきました。

春に映画情報がリリースされて以降、ずっと上映を楽しみに待っていたんですが
夏に主演の香川照之氏の醜聞発覚で、もしかしたらお蔵入りしてしまうんじゃないかとヒヤヒヤ。
不安的中しなくて本当に良かった…。

「宮松と山下」
主演・香川照之 
監督・関友太郎 平瀬謙太朗 佐藤雅彦

宮松は端役専門のエキストラ俳優。来る日も来る日も、名もなき登場人物を生真面目に演じ、斬られ、射られ、撃たれ、画面の端に消えていく。真面目に殺され続ける宮松の生活は、派手さはないけれども慎ましく静かな日々。そんな宮松だが、実は彼には過去の記憶がなかった。
なにが好きだったのか、どこで何をしていたのか、自分が何者だったのか。
なにも思い出せない中、彼は毎日数ページだけ渡される「主人公ではない人生」を演じ続ける。
ある日、宮松の元へある男が訪ねてくる。

「宮松と山下」公式HPより

この予告動画を初めて観たとき「やったー!久しぶりに『静』の香川照之だーっ!!」とワクワク\(^o^)/


「静」の香川照之が好き

多分、一般的な香川氏のイメージって「動」の方だと思うんですよね。
「半沢直樹」の大和田暁役に代表されるような声が大きくて灰汁の濃〜い・暑苦しくてどこかコメディーチック、顔芸と呼ばれる表情豊かでオーバーリアクションの演じ方。
戦慄のサイコパス役を見事に体現した「クリーピー偽りの隣人」も同じ分類になるような気がします。

一方で、繊細で儚く消えてしまいそうな佇まい、台詞が少なければ少ないほど演技で雄弁に語る「静」の香川照之の芝居。
そんな演技も得意な役者さんだと勝手に思っています。

映画「TOKYO!」の引きこもり青年、ドラマ「ダブルフェイス」の潜入ヤクザ、「鍵泥棒のメソッド」の記憶を無くした男役…。
どれも地味なテイストを醸し出していて、演技力で勝負している感じ。
特に映画「ゆれる」の兄役は「静」の香川照之の真骨頂。

洗濯物を畳む背中だけで「弟が今夜、誰と何をやってきたか」全てを知っていることを漂わせた演技とか
裁判中に証言する弟を見つめる表情のみで胸の内を滲ませるとか。
「香川照之スゲェ!!」と演技力の高さに魅了されるんですよ!(熱弁)

どうしても半沢直樹のイメージが強いせいか、最近はそんな静の役柄にご無沙汰だったので「宮松と山下」への期待が高まります。


気持ちが悪い映画

「今日、映画行ってきたんでしょ?どうだった?」と旦那に尋ねられ
「う〜ん…気持ちが悪かった」と答えて笑われましたが。
ホントにこの作品、終盤までずーっとスッキリしなくて気持ちが悪いんです。
のっけからこんな感想ですいません、でもホントに気持ちが悪くて。

その女は一体何者なの?
宮松とはどういう関係?
大鶴義丹は結局なんだったの?
本当に偶然テレビで見かけて探しにきたの?
記憶喪失の真相は?

そんな疑問がどんどん積み重なっていくのに全然答えが映像にない。
一部は明らかになるんだけど、結局最後まで観てもわからないことだらけ。
「伏線回収」とは程遠い、投げっぱなしのあらすじです。

一から十まで役者の台詞で全部説明する展開よりも、観ている人間に想像を委ねる(余白を残す)映画は結構好きなはずなのに…。
なんだかずーーっとモヤモヤ、すっきりしなくて気分が悪い。

全編に渡って横たわる静けさも、どことなく不穏なんですよ。
物語は淡々と過ぎていって、辛うじて「これが山場なのかな?」と思うシーンはあるものの、ほぼ平坦。
全体的にフワフワした浮遊感があって、それも気持ちが悪い…。

ここ数年で観た映画の中で異質が飛び抜けていた作品でした。
でもそれがこの作品の狙いかもしれません。
最後まで観ると、あることに気づくから…。


虚実のボーダーラインを見失う

主人公の宮松は記憶喪失を抱えながら生きつつも、エキストラとして時代劇から現代劇までドラマや映画に幅広く出演しています。
なので作品の中でたびたび劇中劇が差し込まれるんですが、その挿入が絶妙。
我々が「宮松の日常」としてスクリーンを観てたら、実はそれは「劇中劇」だった!
え〜っ!そうなの!?
みたいな振り子がアチコチに散りばめられている。
現実なのか劇中劇なのか、こんがらがるこんがらがる(笑)。
途中からその「騙され感」が痛感になってきました。

でもその演出によって、作品全体の虚実のボーダーラインがだんだん不明瞭になっていった気がする…。
宮松がエキストラの傍ら勤務するロープウェイの管理人としての日々のシーンで、大きなロープウェイの滑車がグルグル回ってる映像が何度となく出てくるんだけど
段々とその滑車が映写機のフィルムを回してるようにも見えてきたんです。
すると「宮松の現実」も「山下の現実」も上映途中の映画を見せられているような感覚に…。

兎にも角にも、どこにも明確に着地しない奇妙な感覚が蔓延=気持ちが悪い、というのが率直な感想なんです。ふう〜。


ところで私は子供の頃に「蒲田行進曲」をテレビで観て、スクリーンやテレビには映らない映像作品の裏側に強い興味を持ち
「人生で一度ぐらいエキストラになって撮影現場を見てみたい」という夢を持っているんですね。

なのでこの作品で主人公がエキストラということで、いろんな撮影の裏側が観れて嬉しかった〜。
埃っぽさの演出のためにADさんがエキストラたちにフーフー言いながら砂を吹き付けてまぶしたり、衣装さんや床山さんたちも出てきてセッティングしてる様子とか、人工的に靄を作ったり…。
その他大勢の存在であるエキストラもプロ意識が溢れてるんだなあ〜、としみじみ感じました。


胡散臭さが充満するスクリーン


もうひとつの「気持ちが悪い」と感じる要素にキャストの胡散臭さがあると私は思っています。

津田寛治演ずる妹の夫がダントツで胡散臭い。
お義兄さんお義兄さんと主人公に懐いているのに、腹の中は嘘で溢れてる感ハンパない。
ツダカン、笑顔が胡散臭くて仕方ない。

主人公の妹もなんか含みがあってモヤモヤするし、元同僚も意味深な言葉を吐いたり。
誰もが胡散臭くて、どの台詞も嘘が隠れているようで私は信用出来ませんでした。

特に素晴らしく胡散臭かった(?)のが主人公を診察する医師。
「こんな人どこから連れてきたの?」とひっくり返るぐらい出オチの胡散臭さで(笑)。
滅茶苦茶インパクトありましたね〜。

ここまでモヤモヤして気分が落ち着かなくなる映画、なかなか巡り会えない気がします。



静の香川照之を焼き付けろ


で、肝心の香川照之はどうだったのか?。

最高でした!!。

私達にはないけど、この人は体の何処かに「存在感のスイッチ」があるんでしょ?と思うほど、気配を消すことが出来るんです。
存在感のオン・オフ、増・減が自由自在。

「エキストラとしてモブに徹している(目立たない)香川照之」と「映画の主人公としての存在感」の両方を見事に演じ分けてる!。
どれぐらい存在感を消しているかというと、エキストラのときは目を凝らしてよ〜く観てないと大勢の中どこにいるかわからない(汗)。 
目立つことは容易でも目立たないのは難しい、と聞いたことがあるので香川さんのその演技力の高さに感嘆符出まくりましたね。

余計な台詞はほとんど無く(むしろ無口に感じる)、立ち居振る舞いや佇む姿勢・表情の微細な動き・歩き方・立ち上る空気感で膨大な感情や心情を表現していて
「そうそう!こんな香川照之が観たかったのよ!」と劇場で思わず握り拳を作ってしまったほど。

特に序盤・中盤・後半で過去と現在が交錯しながら主人公そのものの変化を、よく台詞無しであれだけ演じ分けられたなあと感動。
すーーーっと呼吸をするかのように変化していく様が演技とは思えなくて。
監督さんたちが(この映画は3人の監督さんが撮っている)香川照之無しではこの作品はなかった、とインタビューで話していたことに納得。

煙草を吸うシーンは決して瞬きしてはいけません!!。
呼吸を止めて見ましょう!!。
俳優・香川照之の底力を全身に浴びることが出来る、それだけで映画館に足を運ぶ価値は十分にあると思います(熱弁!)。

確か随分前の著書「日本魅録」で煙草を止めたと香川さん書いていたので、今現在喫煙者ではないはずなのに
後半の喫煙シーンのリアリティーたるもの、圧倒されます。

「久しぶりの静の香川照之」は期待をはるかに上回って、改めて大好きな役者さんとして私の中に鎮座した機会になりました。



個性主義へのアンチテーゼ


劇場で観てから数日が過ぎました。
本来ならテレビでの番宣や取材に応えてネット記事に沢山の香川さんがいたはずなのに、な〜んにも無い…。
こんな異質ですんごい映画なのに、多くの人に知られることなく上映が終わってしまうのかと思うと残念で。

時折、この作品に与えられた気持ちが悪い感覚を思い出していたらふと気づいたことがあったんです。
この映画の主人公、個性が全然ない!!。

「名も無き誰かを演じ 名も無き自分を演じる」

映画のキャッチコピーにハッとさせられました。
香川照之演じる主人公「宮松」「山下」「宮松でも山下でも無い誰か」は印象に残らない薄〜い存在なんですよ。
まさに「名も無き存在」と呼ぶに相応しい、没個性さが際立っている。

普段、映画やドラマを観るときってキャストが演じている役柄の個性を無意識に求めていることに気づきました。
なのに香川さんの演技は無色透明の水をキャンバスに描いているような無個性。
だから「宮松と山下」を観ているとずーっと気持ちが悪かったのかもしれない。
そのあたりは映画のパンフレットを読んでいると納得する文章に出会えました(ネタバレにつき深くは書きませんが)。

なにかと個性・個性・個性という言葉が乱発される昨今、とりあえず個性って書いとけば字面はなんとかなると思ってるの?、と感じるときもあったりして
(主に息子の学校から配布される年度始めのめあてとか)。
そんな中でこの映画は現代の個性主義へのアンチテーゼかもしれないです。

気持ちが悪いかもしれないけど、いろんなことを感じたり考えたり出来る「宮松と山下」。
観に行って良かったです(*^^*)。

 



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