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散歩道のひとこま “米”


授業参観に行ったら、息子の教室の前に米が飾ってあった。

そう言えば、先週くらいに稲刈りをする、って軍手を持たせたのを思い出した。

少し持って帰ってくるのかと期待していたのだが、結局、持って帰ってくることはなかった。

刈った米はどうしたんだろう。

やっぱり給食センターとかに行ったんだろうか。
息子に聞いても「どうしたっけ……?」と全く記憶にない感じの返答。

駄目だ。
言われた作業だけやって、帰ってきたな。

米、というと、稲穂になった時よりも、子供の頃、夏休みに見た青々とした田んぼの印象が強い。

夏休みはいつも、母の実家へ長期の里帰りについて行っていた。

朝起きて、従兄弟や弟たちと近くのお寺まで散歩へ行き、お寺にお参りして、そこにある水が飲める池で水を飲んで、帰ってきて朝ごはんを食べる。

そんな事をやっていた時期があって。

その散歩道のほとんどが一面の田んぼで。
朝露で眩しいほどの田んぼの中を散歩するのは、外出が好きではない私でも綺麗だと思える光景だった。

あの頃、当たり前にあると思った物のほとんどは、今はもうない。

ただ、まだあるんだと思い込みたいから、余計なことは思い出さずに、都合の良いところだけを思い出して反芻する。

さして重要ではないことは、それで良いような気がする。

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