![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/119496988/rectangle_large_type_2_eef182ef0fa11eaafbd0540f2618f54b.png?width=800)
散歩道のひとこま “米”
![](https://assets.st-note.com/img/1697876789111-MkF3mJqr77.png?width=800)
授業参観に行ったら、息子の教室の前に米が飾ってあった。
そう言えば、先週くらいに稲刈りをする、って軍手を持たせたのを思い出した。
少し持って帰ってくるのかと期待していたのだが、結局、持って帰ってくることはなかった。
刈った米はどうしたんだろう。
やっぱり給食センターとかに行ったんだろうか。
息子に聞いても「どうしたっけ……?」と全く記憶にない感じの返答。
駄目だ。
言われた作業だけやって、帰ってきたな。
米、というと、稲穂になった時よりも、子供の頃、夏休みに見た青々とした田んぼの印象が強い。
夏休みはいつも、母の実家へ長期の里帰りについて行っていた。
朝起きて、従兄弟や弟たちと近くのお寺まで散歩へ行き、お寺にお参りして、そこにある水が飲める池で水を飲んで、帰ってきて朝ごはんを食べる。
そんな事をやっていた時期があって。
その散歩道のほとんどが一面の田んぼで。
朝露で眩しいほどの田んぼの中を散歩するのは、外出が好きではない私でも綺麗だと思える光景だった。
あの頃、当たり前にあると思った物のほとんどは、今はもうない。
ただ、まだあるんだと思い込みたいから、余計なことは思い出さずに、都合の良いところだけを思い出して反芻する。
さして重要ではないことは、それで良いような気がする。
よろしければサポートをお願いします。