10 人や国の不平等をなくそう

 一月の朝の五時はまだ深夜の空の色である。始発電車に合わせてスイーツ女子五人がやってきた。姿は見えないが話し声が聞こえる。おはようと挨拶を交わすと、昼食のメニューで揉めていて、わたしに決めろと言う。どうやら料理人と仲良くなり、賄いを注文して作ってもらえるのだが、賄いゆえに全員が同じものでなくてはならない。毎日、言い争いながら電車に乗り込むらしい。わたしは時節柄、七草粥をお願いしてはどうかと提案した。ハグやら握手やらで、彼女たちは満足して電車に乗っていった。いってらっしゃいと手を振った。手を振りながら、それが初めての経験であることに気づいた。誰かを見送るという行為、電車の音が聞こえなくなると寂しさがこみ上げてきた。駅前を軽トラックが通り過ぎていく。乗っている老夫婦に手をあげて頭をさげる。冬でも農家の朝は早い。
 適度に過疎の進んだ町に暮らし、スイーツ好きな外国人たちと挨拶を交わす。老人と外国人、それが後厄男の人生の登場人物である。偏っているように思いつつ、高齢化とグローバル化、まさに日本と世界の縮図、少し未来を先取り。そして今回のSDGsは10番、”人や国の不平等をなくそう”である。どうあがいても国の不平等には関与できないので、人の不平等をなくすことにした。そして今、不平等を探しに駅に来ている。駅で人を観察し、不平等を見つけようというわけである。

 学生が自転車でやってきて、慌てて電車に駆け込んでいく。そんな姿をぼうっと眺めていた。学生が手にしていたスマートホンで思い出す。ここは電波の範囲内である。わたしはスマートホンの電源を入れ、ネットを開いた。興味を引くニュースもなく、SDGsの10番を再び調べた。”不平等”とはどうやら所得の格差の不平等のことらしい。何と、何と、何と。駅で人を眺めていても、所得は見えてこない。初動ミス、さてどうするか。所得の格差、わたしが議論に参加できる話題ではない。所得なし、四十二歳、バツイチ、後厄である。金を溜め込んでいる所から金を強奪して分配するか。適当な空想をはじめるが、空想すら続かない。SDGsでの続かない空想の果ては、目を閉じることになる。結局、グローバルに比べるようになり格差が見えているわけだから。わたしはスマートホンの電源を切り、上空を見上げた。曇天だった。
 朝の時間帯、電車に乗り込む人はいたが、誰も電車から降りてこなかった。この駅には別の町からやってきてまで働く昼間の仕事がないのだ。そう考えた直後、駅前を車が走り抜ける音がした。この町のナンバーではなかった。仕事はあるが車通勤なだけなのだろう。思いつきは的を外れた。しかし仕事が多くないのは事実だ。駅前にオフィスビルはないし、昼食時に賑わう店もない。コンビニも早朝深夜営業はしていない。それでも生活は維持できている。恵まれた境遇に感謝するだけの10番だった。

 下り電車が到着する。今日初めての降車客は女だった。わたしたちは約束していたかのように手をあげて、目を合わせ、挨拶をした。わたしは珈琲を飲みに家に戻りはじめ、女は自然と後ろをついてくる。わたしは六年ぶりの再会に混乱していた。後ろからナイフで刺される瞬間を待っていた。少し遠回りをした。家につくと珈琲の準備をした。

 彼女は謎解きをする探偵のようにゆっくりと歩きながら話しはじめた。変わってないわね、小銭を貯めてる。あなたは全く変わってないのよ、だから見つけた。ボストンで見たモネの絵、真っ赤な着物の金髪の女、絵葉書を買ってたでしょ、それが本の間から出てきたの。あたしの旦那はこういう色物が好みだったなと感傷的になってネットで当てもなく探してたら、着物をきた多国籍な若い女に混ざって当人が写ってた。絵葉書は啓示でも、運命でも、できすぎた偶然でもないの。何年も同じようなことをやってたんだから。寿司を見ればスシバー調べて、今川焼を見ればピスタチオ粉の緑の鯛焼きを調べて。暇つぶしよ。暇つぶしとはいえ、発見した興奮で我を忘れて、電車に飛び乗ったの。そして電車を降りたら、そこにいて、自然に挨拶を交わした。呆気ない幕切れ。挨拶したのに立ち去ろうとしたから、少しテンション回復してついてきたの。ゆっくり歩いてたけど、そのうち走り出して逃げるだろうなと思ったから、走り出す準備をしながらついてきたの。逃亡生活のアジトを突き止めたから、もう満足。後ろ姿を三十分以上眺めて、六年ぶりの再会も堪能したし。
 彼女は私にスマートホンの画面を見せようとしたが、電波が届いてないのでインターネットは開かなかった。スイーツ女子の誰かのSNSページのようだった。彼女は珈琲を飲み干す前に帰っていった。珈琲が冷めてにおいが消えると、香水が残った。空気がざわついていた。人生が動きはじめた。
 フェアトレードの豆を買ってるんだ、SDGsより前にすることあるでしょ、そう言って彼女は帰って行った。10番活動は上々だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?