3 すべての人に健康と福祉を

 今年の私のテーマは健康である。年齢的に体のボロが出はじめていた。今年の心の書き初めでは大きく”健康第一”と書いた。それで3番の”すべての人に健康と福祉を”の活動終了、とはいかない。敵はもう一人いる。今日現在、健康を脅かすのは肉体的な衰えだけではない。”感染症の蔓延”が迫っていた。新型コロナウイルスである。

 この町にはまだ罹患者はいません、駅員がそう言っていた。駅員はアルコール消毒と手洗いばかりしていて、手が荒れると言って、ハンドクリームを使っていた。商売柄、人との接触が多く感染リスクが高い。町には高齢者ばかりである。
 スイーツ女子五人が電車から降りてきた。また言い争っていた。今日は体温計が話題。薬局で体温計が売り切れて買えないくて困っているとのこと。先週までは売っていたのに買わなかったら、今日はどこにも売っていないらしい。それをお互いのせいにしていた。言葉の応酬は彼女たちにとってのストレス解消だ。彼女たちは毎朝、検温してから来るようにと言われたとのこと。どうすればいいのか。お互いに触れあって平均的な温度の人を三十六度にして、あとはそれよりも高いか低いかで決めればどうかと私は提案してみた。反論はなかったが、採用されはしなかった。騒がしいまま帰っていった。

 翌朝、私は体温計を持参して始発電車を待った。スイーツ女子たちがやってきた。お互い額に手を当て、熱がないことを確認したとのこと。問題なしと自信満々だった。私は体温計を手渡した。水銀式なので振ってから使うように教えると、彼女たちは当然のように知っていた。電子式は日本だけだと言われた。電車に乗ったら測ると喜んでもらえた。健康に役立てた。私は気分が良くなり、買い物に出かけることにした。彼女たちとは反対に向かう電車に乗った。まだ買い物をするには時間が早すぎるが、家に戻って出直すぐらいなら、現地をフラフラする方がいい。朝の町で通勤通学の人やカラスとすれ違うのには懐かしさがあった。

 昼前に買い物から戻ると、妻が小屋から出て来た。リアクションができずにそのまま自然に挨拶をしてしまった。鍵が開いてたから入らせてもらった、テントを持ってきたから邪魔はしないが土地を貸してと言われた。私はこの時期は外のテントで生活している旨を伝えた。それはちょうどいい、小屋を借りると妻は言った。東京を脱出してきた、仕事もしばらく在宅となったのでほぼ休暇のようなもの、勝手に生活するから構わなくてよろしいとのことだった。
 気乗りがしないことだけは間違いなかった。しかし断る理由もなく、断る立場にもなかった。六年間の音信不通である。それでも受け入れる理由が欲しかった。家賃ね、とエコバッグを渡された。受け取ると信じられないほど重かった。中身は大量の五十円玉だった。
 穴の開いたコインは世界的に珍しいから、外国でチップ代わりに渡すと喜ばれると言い、妻は私の小銭の中から五十円玉を抜き出して集めていた。五円玉は価値が低く相手に失礼だと言っていた。私は金色の方が喜ばれると主張した。いずれも一度も実践しなかった。
 ”すべての人に健康と福祉を”の3番として、受け入れることにした。実践こそすべてである。

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