「戯曲デジタルアーカイブ」2021/06/08

・戯曲デジタルアーカイブ読んでた
そういう便利なサイトがこの世にはあるらしい。
戯曲って読んでるとき、他の何とも違う時間感覚になるのがいいね。あとスタッフの立場になって「なんだこのト書きは」と頭を抱えるのも楽しい。

・如月小春「DOLL」
多分再読。なはずなんだけど、記憶無いなあ……読んでないのか?
でも自分の大好物である「どう考えても間違ってる思想が作中に伝播していって、最終的に観客までをも取りこむやつ」だから、きっと読んでる。
流石に女子高生の台詞が時代にそぐわないが、もともとワークショップを重ねる中で生まれた作品、とかどこかに書いてあったので、ある程度の変更はアリか。役者に合わせて当て書きしたいなー。
「765プロ版」とかすげー見たいし(誰か書いて描いてくれ)、つまりそれは現実のアイドルが演じてファンが見に行くとすごい楽しめそうだし、揺さぶられそうだ。

・寺山修司「身毒丸」「毛皮のマリー」
再読。
現代劇を読んだ後に読む身毒丸のぶっ飛び感たるやすっごいものがある。何年ぶりかの寺山修司は、久しぶりに吸う煙草みたいにくらくらする。
身毒丸はどうしても藤原竜也と白石加代子が頭にチラつくけど好きだからオールオッケー。

・宮藤官九郎「鈍獣」
クドカン作品の台本って初めて読んだよ。
00年代前半に、鈍さの強さ・怖さに着目するのはすごいと思うけど、賞をとるほどの出来かは正直わからん。
もっとクライマックスに向けて鋭く書くこともできるのでは(私はできない)。
チンピラの子分みたいな役を、舞台では生瀬勝久、映画ではユースケ・サンタマリアがやってたと後で知り、にやけてしまった。
あと、クドカン作品ってチンピラの舎弟関係とか、場末のスナックが〜みたいの多いよな。全体的に地方都市の繁華街っぽい。駅前ガラガラそうだし、○○銀座ありそうだし、その○○銀座の客イオンにとられてそう。詳しくないけどなんとなくよ。
良い悪いではなく、作者がその人になるにあたり必要不可欠なエッセンスがそこらへんにあるのかなーと思うと興味深い。ティーン女子の力関係に敏感な作家がいるけど、クドカンは男の同級生同士に生じるささやかだけど絶対的なヒエラルキーに敏感なのかもしれない。
最近の日本のギャング映画って大抵地方都市が舞台になってると聞いたことがある。言葉にはできないけど、クドカン世界とギャング映画世界に共通する死生観とかあってほしい。あってほしくない?

・居眠りもした
嫌な手触りの夢を見て、この感触を忘れたくない、目を開けたら・動いたら忘れちゃうかもしれない、と最低限の動きでスマホを手繰り寄せてnoteに断片をメモったら、案の定。書き終わるころには、何がそんなに大切だと思ったのか忘れてしまった。
八名信夫さんを上からハンマーで叩いて縮めたような、白いスーツに身を包んだジジイに、正論で説教される夢だ。
詰められるのも致し方無いことをしてはいた。飼えないからって理由で子馬を山の中に置いていったんだ。
八名信夫は、目を伏せて通り過ぎようとする私たちに「お前らが捨てるならオレがこいつを飼うからな!」と叫んでいた。それが売り言葉じゃなく本気の言葉だといいなと、図々しくも願いながら逃げた。
ね。忘れたくない気持ちが何だったのか、わからないでしょ?

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