「ちいかわを見るちいかわ」2021/05/20
・みんな同じジェットコースターに乗って
今度はウラケンか……。毎日入ってくる有名人のニュースの温度差で頭おかしくなるよ。
でもここんとこのニュースは影響力のデカい人たちばかりだから、みんなきっと同じように翻弄されているんだ。私だけじゃないから、って思って自分を落ち着かせたい。
・やはり作品は作者のものなのか
漫画だけじゃなく誰かが作る作品は、ことインターネットの普及後のそれは、作者と読者(受け手・消費者)の一対一の関係だけじゃなくて、読者どうしの関係の中で共有されることも多い。
ベルセルクとか、あとエヴァとか、完結しなくて考察の余地がある作品ほど誰かと語りたくなるもんね。次作がなかなか出ないときは、その淋しさを受け手どうしで埋め合うしかない。
エコーチェンバーなんて表現もあるけど、そうやって受け手の間で妄想が響きあって膨れ上がることはザラにある。結果、いざ作者が新しいものを世に出してきても「解釈違い」になっちゃったりして。
「公式が解釈違い」という状態は冷静に考えれば本当に馬鹿馬鹿しいことだ。でも、本来の作者が発表したものを受け入れられないくらいに、いち読者の中に作品の世界が根づいているってのは、作品のパワーがすごいというのも勿論なんだけど、根づかせた読者も結構なもんだなと私は思う。解釈違いを起こしている人全てを切って捨てることはできない。
ていうか、大多数の読者が文句を言うってパターンも結構あるじゃない。今まで触れてきたどの創作物にも「それはないでしょ……」って言ったことない人なんている? はじめの一歩はさっさと一歩vs宮田をやって終わらせろ。ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんから失われたブラックジョークを惜しむ。封神演義のアニメなんて無かった。映画の「3」に名作無し。などなど。
こうなってくると、作品は本当に作者のものなのかと考えることすらある。消費者の立場にしか立ったことのない人間が「作品は作者だけのものではないのだ!!」と断言しちゃったら、もう病院に行けって話になっちゃうんだけど。でも、特に昨今のクチコミから人気が出るような作品は、いち読者が心の中で膨らませた「良さ」の幻想を誰かに伝播させることで人気になったような側面があったりもするわけで、そしたらみんなが感じているその「作品」って、作者の作った部分以外とまわりの共同幻想をひっくるめたものなんじゃないのか。作品は世に出された時点で共有されているものなのでは? と。
(自分が単なる消費者だからこのニュアンスが上手く伝わるか自信が無いな。傲慢にしか聞こえん)
しかし、こうしてベルセルクが未完に終わってしまった今、やっぱり作品は作者個人のものなんだなってつくづく思う。
もしかしたらマシリトが三浦先生からベルセルクの最終回までのプロットを預かっててさ、ガラスの仮面の最終回と一緒に白泉社の金庫に入れててさ、この先アシスタントさんがそれをまんがにするかもしれない。だとしてもそれは今まで読んでいたベルセルクと違うし。あ、原稿の1ページ目に「誰か描いてくれ〜」ってウラケンが書いてたらちょっと納得できるかも? ……とか言ってる時点で、今まで読んでいたその作品そのものかどうかを判断する上で最優先されるのは作者の意志・判断であることが証明されてしまった。少なくとも私の中では、であるが熱心な読者の方はどうなんだろうかね。
もっと長期的なスパンで構想されてお金のかかる映画とか、グッズ展開の多いアニメとか、作品ごとに「作者の意志」の比重は違うと思うけど。
でも少なくともベルセルクはもう作者以外のものにはならないだろう。手塚治虫作品みたいにキャンドゥとかにオリジナルグッズが出たりもしないし、多分。ガッツのマスキングテープとか要る?
・オタクに死は難しい
サブカルチャー的な創作物に並々ならぬ熱意を抱く人をオタクと定義するなら、まだオタク文化全般に「作者が亡くなってしまった場合」の心の持ちようについてのノウハウはそんなに蓄積していない。生まれてほんの数十年だもん。
様々の事情で自分が死ぬまでに完結するかわからないものが、ある日マジで絶対完結しないものになってしまう可能性に、オタクはこれからもっと慣れるべきなんだろうな。従来と違う形になっても作品世界と物語の着地点を提示するのがいいのか。解釈違いになったとき、それを愚かなことと言うべきなのか。作品はあくまで作者のものとして、そっとしまっておくのが美しいのか。完全版愛蔵版の類にはどこまで乗っかるべきなのか。などなど。
・DLチャンネル
DLsiteの運営している、DLチャンネルというサイトがあると知った。
……何かすごいの。
ユーザーどうしがDLsite作品をレビューしレコメンドしあうことに特化したブログみたいな感じ? DLsite自体、扱ってる作品がほぼエロなので、レコメンド記事も基本的に大変なことになっているんだが、中には「読ませる」ために書かれた記事もある、下ネタを解禁したnoteみたいな感じか。エロ関係無いおすすめVtuber記事とかもある。どゆこと?
これは、面白いネタ職人のいるエロ漫画誌の読者コーナーを見ているような感覚に似ている。熱意は伝わるが全く上手くないイラストを描く者あり、文豪を思わせる筆致で超ニッチ性癖作品レビューをする者あり。
ニコニコのユーザーブロマガとかお笑い系のテキストサイトのノリも彷彿とさせるのは、全体的に文体がちょっと古めだからだ。年齢で言ったらきっと若い人もいるんだろうに、何故エロ関連の文章を書く人たちは文体が古くなってしまうのだろう。
カマトトぶるわけでも何でもなく、DLsiteを使ったことも使う予定も無い私は彼らにとってただのエイリアンである。従って、彼らが100年後も一人称が「小生」のままであれるよう、息を殺して見守りたい。もう少し見守っていたら、ヨッピーやpatoみたいな人が出てくる気がする。そのときは慌てず騒がず、ここでこっそりオススメしたい。
・キュートアグレッション
DLsiteとは関係無く、キュートアグレッションという単語を知った。
また知らなくていい単語が増えてしまった……。
キュートアグレッションとは、つまりちいかわのことである。Wikipediaによると、かわいいものに対峙したときの、それに噛みついたりギュッと握って破壊してしまいたくなる気持ち、衝動のことを意味するらしい。
ちいかわのような「かわいそかわいい」は昔から存在しているが、最近の「かわいい」は自覚的に「かわいそかわいい」を狙ってきているものが増えたなと思っていた。モルカーもそういう側面があったね。かわいいものが、泣いたり怯えたりしているところを見たいというような。今日においてのキュートアグレッションの意味は、そういうことでいいと思う。
言いたいことはわかる。かわいいものがかわいそうな目にあっているのを見たい・自分の手でそういう状態にしてやりたいと思うこと、人並程度にはわかる。
でも、Wikipediaの噛みつき・握るという典型例は全然共感できないなー。そういう風にして何かを粗末にした経験が無いから、発想に結びつかないだけ?
自分みたいに具体的な暴力の発想が無い人たちが「かわいいものがたまにかわいそうなことになるまんがを見る」ことで衝動を満たしているんだとしたら、ちょっとかわいいな。よくわからないまま惹かれ、よくわからないまま満たされる。ちいかわかよ。やったじゃん。
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