ラストオブアス パートⅡの丁寧な感想文

評価が分かれる作品の分かれる理由を3つとか並べてる動画を見てしまって短い人生をさらに短くしてしまった方へ。大丈夫です。いかがでしたか、なんて単語は、このレビュー文章にはこれ以降二度と登場しない。

THE LAST OF US PARTⅡ、クリアしました。

結論から言ってしまうと間違いなくマスターピースだった。
ゲームシステム、ストーリーテリング、音楽、ビジュアルすべてが、頭一つ抜きんでている。
しかし、かなり評価が分かれるゲームだということも間違いない。
人によっては前作を踏みにじる最低の作品と言われても仕方がないかもしれない。
何一つ減点できる要素がないのに、これほど最低なユーザーレビューが噴出する作品というのも、そうそうない。
キャラに感情移入しすぎる人、自分なりの解釈をもって勝手に今作を想像しすぎてしまった人にとっては、絶望的な解答だったかもしれない。

また、今作はLGBTを始めとした社会的な批判に晒される要素がてんこ盛りにされているうえ、描かれるキャラクターの関係性、愛の形も実に複雑だ。
これは復讐の物語であると同時に、相互理解の物語だ。ゆえに、雑な感想はその個人がいかに雑に世界を捉えているかを逆説的に証明してしまいかねない。
また、プレイ動画等を観てストーリーを理解するのは、あまりにもおすすめできない。このゲームの没入感は常軌を逸したレベルで完成されている。プレイとムービーの緊張感がほとんど途切れない。かえってムービーのようにプレイ動画も観れる、とも言えるのが問題なのだけれど、自分で進むからこそ生まれる緊張感を持たずに傍観する立場では、キャラクターの感情に寄り添う難易度が各段に上がる。1000歩譲ってQTE(タイミング良くボタンを押す)に過ぎないデトロイトビカムヒューマンの実況動画でも観ていたほうがいい。当然プレイするに勝る臨場感は得られないが、まだ当事者感が薄くてもなんとかなる。7割くらいは。すごくデトロイトに失礼なこと言っている気がするけど、あれはむしろ昨今のプレイ動画視聴ブームに乗っかって知名度を上げたみたいなところもあるので…。

正直に言えば、ラストオブアスパートⅡを実況動画で理解したと言うのは、本作品のすべてに対する冒涜であるとすら思う。体験としての本質が異なる。プールの中で無重力体験をして月に行ったと言うくらい、頓珍漢な発言だ。感想記事でそういうのが上位に来るの、ありえないだろ。あるから言っているし、書いてしまったんだけれども。

さて、ストーリーから。


前作ラストでジョエルはエリーのために全てと敵対した。世界を救おうとした全ての人間たちを殺した。
それは愛であり、それ以外の選択肢は無かった。しかしその行為はエリーの意志を無視したものであり、消えることのない溝が二人の間には生まれた。
前作から五年たち、二人は平和な村に住んでいる。エリーと両想いのユダヤ系女性ディーナと、その元彼であるアジア系男性のジェシーが同世代の友人としてストーリーを彩る。
エリー編はアビーにジョエルを殺されたエリーが、凶行に及んだアビーとその仲間たちを殺し尽すために旅をすることになる。
その過程でディーナがジェシーの子を身ごもっていることがわかったり、ジェシーが助けに来てくれたりと話は進み、
ジェシーがアビーに殺され、エリー自身もアビーに殺されそうになるその瞬間に、話はアビー編へと移行する。

冒頭でジョエルに助けられたにもかかわらず無残にジョエルを殴殺したアビーは、エリー編プレイ中は完全なる悪だ。
しかしアビー編で明かされるのは別の視点だ。ジョエルの鬼神のごとき暴力の被害者筆頭がエリーの手術を担当していた医師であり、無残にも殺されてしまった彼の娘こそがアビーである。
アビーはWLFという軍隊組織に所属しており、元彼のオーウェンと、オーウェンの子供を身ごもったメルを始めとして何人も仲間がいた。

殺し合いの螺旋に耐えきれず逃げ出したオーウェンを追ってセラファイトと呼ばれるカルト組織に掴まったアビーは、そこから脱走した姉弟ヤーラとレブに助けられ、成り行き上彼女らと行動を共にする。父を助けられなかった過去が何度もフラッシュバックするアビーは、その罪悪感から姉弟を助けるために奮戦するが、姉弟の母親を説得しにいったレブは正当防衛で母を殺すことになってしまい、その後アビーが命を救ったヤーラも、逃げる途中でレブを助けるために死んでしまう。満身創痍で戻ってきた拠点では、すでにエリーが大切な仲間を殺し尽くした後だった。

話は再びエリーとアビーが対峙するシーンに戻り、プレイヤーはアビーを操作してエリーと戦うことになる。
死闘の末勝利するアビーだが、ディーナが身ごもっていることに気づき、また共についてきたレブに止められることで、エリー達に二度と近づかないように警告してその場を後にする。

数年後、エリーはディーナとその息子と共に平和に生活していた。しかしエリーは未だに心の傷がいえず、止められない復讐心のままディーナと赤ん坊を残して旅立つ。

一方アビーはレブと共に生活していたが、付近にいたギャングに捉えられ磔にされ、殺される寸前だった。

アビーを探してボロボロになったエリーは、同じく瀕死のアビーとレブを見て二人を助けるが、最後の最後でアビーと戦うことを選択する。
壮絶な死闘の末アビーを追い詰めたエリーは、彼女の息の根を止める瞬間にジョエルを思い出し、その手を離すのだった。

ジョエルが殺される前日、エリーはジョエルに許したいと語っていたのだ。一生許せない、それでも、許したいと思っていると。
そしてジョエルはそれでいいと言ってくれた。
だからアビーを殺すことはできず、泣くしかない。
帰った家にディーナはいなかった。指を失ってギターも弾けなくなった。
復讐は終わり、エリーがこの後どう生きていくのか、何も告げないまま物語も終わる。

 


さて、家族愛一本を太く太く貫くことで全てを正当化できた前作を超えるためには、対立とその超克を描き続ける必要があった。
そして人間同士の対立が本当に多様な背景で起こることを、今作はこれでもかと突き付ける。
ダブルヒロインというシステム面は言う間でもなく、妊娠、不倫、宗教、同性愛、人種、親子、好きな人の元の恋人、戦友、あらゆる関係性があり、それがふとした瞬間で立ち切れたり、逆にどんな状況でも断ち切れなかったり、断ち切った後で後悔したり、断ち切れなかったゆえに失ったりする。

怖いゲームというよりはただひたすらにつらいゲームだ。
ゆえにプレイヤーの感受性次第では、評価が完全にバグる可能性がある。
しかしそんなことはノーティドッグも百も承知だろう。描写は非常に丁寧で、決して破綻した行動を起こすキャラクターはいない。
自分には理解できない、場合によってはしたくもない人間のことを理解すること、これがこのゲームで突き付けられる命題だ。


 

ユーザーレビューがひどい。
が、かなりどうしようもないのもわかる。どうしても、前作のジョエルに感情移入すればするほど、ジョエルを殺したアビーは許せないし、その結果として心が擦り切れていくエリーの姿も見ていられないものになる。

アビーはガタイもいいし、ぶっきらぼうだ。確かに映画やドラマだったらここで観るのをやめても仕方ない。
でもゲームだと否応なく彼女を進めないといけない。プレイアブルキャラの切り替えによるストーリーテリングはノーティドッグが得意とする手法だが、徐々に明らかになる彼女の性格や、優しさの描写は、共感を覚えるには十分だったと思う。が、前作が偉大過ぎたのは否めない。
ただ、ことにこの作品において個人が嫌いだからそいつら全部嫌いみたいな意見が出ているのは衝撃的だった。
何がテーマの作品だと思ってんだ。

アビーがエリーと対照的にデザインされているのは間違いないが、ゴリマッチョだからウザいとか、共感が持てないようにデザインされているという意見もくだらない。完全に好みじゃねえか。
 

また、大筋の表層をすくって復讐は何も生まないという結論で満足するのもかなり雑だと思う。確かにアビー編が始まった瞬間、「うわここまでやっておいて実は敵にも敵の事情がありました~正義は人それぞれ~」みたいなことを焼き直すのかと思ってかなりげんなりした、したのは事実だ。事実だが、想像以上にアビー編は長く、彼女はオーウェンやメルという争いを好まない仲間、敵組織に捕まり、その一員であったレブやその姉ヤーラと行動を共にすることですでに暴力の螺旋から降りようとしていたことが、丁寧に丁寧に描写されていく。実際復讐を果たせた側なのだから今さらなにを言ってもみたいなところがあるんだけれど、果たして復讐を果たせたことが勝ちだったのかという部分に目を向けずにアビーを評価するのは筋違いだ。セラファイトというカルト組織の登場、その内部にいた2人の姉弟との交流により、価値観の衝突と相互理解の難しさという本作の真のテーマは改めて浮き彫りにされていく。復讐とは詰まるところ、相互理解の断絶であり、ふたつは表裏一体なのだ。本当に復讐が何も生まないことだけを描くなら、互いに殺し合ったときに2人とも死ぬのが一番簡単だろう。それをノーティドッグが選ばなかったことが、何を意味するのかしっかりと考えるべきだ。

 
アビーがディーナの妊娠を知ってエリーを見逃すシーンも、かなり議論を呼ぶのは間違いない。メルのことを思えば殺すべきだという気持ちもわかる。それでも殺さないという選択が、人間らしさなのだと思うのだが、あちこちにあるこうした一見矛盾した行動に、(冒頭からの描写の積み重ねからすればさほどおかしくないにも関わらず)強い反発を示す人は多い。

各キャラクターの肉付けは、十分な努力がされていると思う。ディーナ誰やねん問題(ディーナの心情描写が少なく、共感できない)も指摘されているが、5年間という月日を無視して父親面しているユーザーが悪いと言ってしまってもいいんじゃないかとも思う。全作でユーザーはあまりにジョエルを愛しすぎた。そしてラストオブアスというゲームはユーザーにジョエルであることを命じた。しかしラストオブアスパートⅡにおいては、主人公は交代し、主題もまた変わっているのだ。エリーを、アビーを、理解することを求められているのだ。いつまでもジョエルではいられないのだと、わからないまま前作のつもりでプレイすると、このゲームを拒絶してしまうことになるだろう。 


エリーが再度復讐のためにディーナのもとを離れるシーンは、もうついていけないと匙を投げたユーザーも多そうな場面最上位だろう。前作を超えられない壁として立ちふさがる、「エリーに感情移入できない」という感想が、もしかしたらこの作品の低評価の最たるものかもしれない。ラストシーンに近づくにつれ、やめてくれと、そこまでしないでくれと思いながら、エリーを前に進めていくことになる。ほとんどのユーザーはエリーの行動を求めていない。ジョエルと違い、エリーの感情は追いにくい。大切なものを守るため、というある意味単純だったジョエルと異なり、今作後半のエリーは大切なものをすでに失い、復讐心すら失い、それでも義務のように、贖罪のごとくアビーを追う。燃えさしの怒りを顔に張り付けて、幽鬼のごとき執念で追い続ける。感情の矢印が複雑なのだ。ジョエルの怒りはわかりやすい。なぜなら解像度が低くても理解できるからだ。「守るために戦う」、この構図だけで一定の共感を得られる。「免疫を持つ少女を、たとえ彼女の犠牲で人類が救われるとしても守るために戦う」ここまでくれば立派な動機だ。そこに「かつて娘を失った男が」とか、「崩壊したアメリカを横断して絆を深めた二人が」みたいな背景の重ねがけでその感動を深めていく。一本筋に、深みや幅があるのだ。
対照的に、エリーの激情にはキャッチーなフレーズが無い。父に近い存在を殺され、復讐を誓う。散々殺し尽くしたのちに返り討ちに会う。しかし再び、恋人すらも捨てて復讐を完遂させようとする。それでも復讐はできない。どこにも無抵抗で感情移入できる要素はないと言ってもいいだろう。ゲームでプレイさせるには感情が複雑すぎるため、浅い読解だとエリーが何のために進むのか、まったくわからない。さらにアビー編の存在が、エリーへの感情移入を妨げる。誰もエリーの行動を許容していないし、もしかしたらエリー自身も、わかっていないのかもしれない。しかしそれこそが、本作最後の仕掛けだろう。暴力によって麻痺し、傷ついた心が辿り着く終着点は、ユーザーを置き去りにして、それでもなおその結末から目をそらすことを許さない。ストーリークリアのトロフィー名は、「やらねばならなかったこと」である。やらねばならなかったのだ。たとえエリーを止めたくても、エリーは止まってくれないし、エリーは止まれないのだ。だから、ユーザーも腹を括るしかない。この乖離こそが、エリー自身の感情の矛盾そのものだ。泣きながらアビーの首を絞めるエリーの表情は、もはや復讐ではなく贖罪であり、贖罪としてすら決して故人の為にはならないと気づいたとき、涙に変わる。そしてそれは、多くのユーザーにとって受け入れがたいものであるし、ストーリーテリングとしての落ち度だとか、構造上の失敗だとか、言われても文句は言えないものだ。ただ思い出して欲しい。意味が分からない、なんでそんなことをするんだ、こちらの気分を害する全ては否定されるべきだ、今作のすべての争いは、そういった感情から生まれたものだということを。


ここまででストーリーに関する感想は以上です。

ゲーム性について。

もうなんも言うことないです。最高。
音が大事になる以上、終始非常に静かなのだけれど、敵の声、動きがとても生々しい。壁に近づくと手で触れる、敵が近い時は素早く動くなど、状況に応じたスムーズなアニメーションが”ゲームっぽさ”を極限まで感じさせない。
敵AIも非常に賢く、ひとりひとりに名前があるのか、仲間の名前を呼んでその死を悼む様子をみせたり、包囲の狭め方や後ろの振り向き方といった各所にリアルさがにじみ出る。感染者のいる暗がりも、胞子の飛ぶ埃っぽさまでしっかりと描写されている。敵が殺意をもって殺しに来る、という点では、これまでのゲーム体験では敵わないと思わされた。アビーとしてエリーと対峙するシーンでも、エリーはこちらを見つけた瞬間容赦なくショットガンをぶっぱなしてくる。探しているときの目線、足運び、獲物を視界に捕らえたときの首の動き、すべてが緊張につながる。この緊張の連鎖、殺意の波状攻撃を経験せず、ストーリーを理解するのは無理だろう。

システム的に言えばステルスアクション生みの親はもうデスストランディングをやっているし、古いんじゃないかみたいな話もある。ただまあノーティドッグのゲームシステムは基本的に他作品のいいとこどりだというのは昔から知られた話だ。やっておもしろければそれでいいと思う。ワイドリニア(基本一本道なんだけど途中で寄り道できる広場を用意する)は相変わらず良くも悪くもないという感じだったけれど、むしろ林のような小規模なルートにおいて、2、3本道を用意するのはリアリティと自由度が程よく広がっていい演出だと思った。

銃とかの切り替えのUIが独特なのはけっこうよくて、右左で武器を変えるUIはダークソウルとかに近い発想なのかなと思った。とにかく、ガンアクションだからとよくあるようなUIにしない、という姿勢がすごく良くて、自分たちのゲームが何をメインに据えていつのかをよく考えたうえでUIをデザインしているゲームはもれなく名作だと思う。

システム面は以上です。


まとめ

ゲームとしての完成度はPS4でも屈指。キャラクターの深堀り度合いとその表現では他の追随を許さない。
しかしアクションサバイバルという皮を被りながら、ゲームという媒体でできる表現技法をきわどく攻めたかなり実験的な作品だった。
冷静に判断すれば、総合的な完成度では前作を超えられていないと思う。
ただ、前作を意識しすぎた駄作だとか、稚拙なストーリーテリングとするのは間違っている。
LGBTなどの作中での描写も自然にさらりと取り込まれていて、巨大なスタジオがそれを簡単にやってのけるという部分にも感銘を受けた。
万人におすすめとは言い難い。
特に後半は凄まじく、だれもに体験してもらいたい反面、親しい人にはプレイしてほしくない気持ちもある。それでもできればやってみて欲しい。


喪失と悲哀を。絶望と怒りを。断絶と理解を。そしてできることなら、愛を。体験してもらえたら、うれしい。


 

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