奴雁

社会政策関連学会協議会
「社会政策関連学会協議会シンポジウム 学術の役割を考える―学問と社会の関係を問い直すための知恵―」(2024/03/09)

感情に根差した語りと理論に根差した語りが入り混じる会でした(アジェンダ的に当然だと思いますし、その点を批判するつもりは毛頭ありません)。

研究者が政治の利害や資本の要請から逃れた独立した問題意識を持ち、政策の重点領域や市民の関心から取りこぼされたり、軽視ないし単純化して捉えられたりする傾向のある社会福祉政策などのアジェンダを拾い上げること、またその前提として、研究者の立場において自由な言動の機会や研究者同士の連帯の機会が保障されることが重要であることが分かりました。

上記を理解した上で、一点疑問に思ったのは、そのような問題意識や立場の独立が保障される仕組みを作るにあたって問われるであろう研究者自身とその研究の持つアイデンティティの問題です。今の研究者を取り巻く劣悪な環境を研究者自身に帰責する意図はまったくないのですが、どのような仕事であってもその意義や価値が常に問われ、その意義や価値に対する共通の合意に基づいて資源の配分がなされる現代社会の仕組みを踏まえた時に、経済成長や国際的地位の向上といった分かりやすい利益を生むシナリオを描きにくい教育や社会福祉領域の研究者が、研究の価値を主張する際に依拠すべき先は、研究者自身とその研究の持つアイデンティティであるのではないかと思いました。ここで言うアイデンティティを形成する要素は多様ですが、例えば「自分が研究者として研究をする理由」や「自分の研究がこの社会にとって必要な理由」を暫定的にでも定め、自覚的にコミットし、資源の配分を決める場においても主張し続けられる状況にある研究者はどの程度いるのでしょうか(大半だと言えるでしょうか)。そもそも、それらの問いへの答えが出しにくいような環境や、研究活動そのものの難しさがあるのでしょうか。

学部生の自分にはイメージし難い部分もありましたが、研究者が奴雁たり、独自の目線から長期的な「社会の存続」に寄与するためには、研究者自身が一定のアイデンティティを説明する力を養う必要があるのかもしれません。その説明力は、学術界における研究者の自己決定権を堅持する助けになり得るものであると考えます。

群れた雁が野に在て餌を啄むとき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し

福沢諭吉『民間雑誌』

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