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学校の先生が忙しい件で

総合大学で教職科目(教育心理学・教育相談)を担当しています。また、私立高校で心理職として働いています。1981年から1998年までの17年間は教員として働いていました。「先生が忙しい件」で思うところがあり、書いてみることにしました。

キャリア教育・進路指導は盲点だった

次は、最近、見つけた記事である。

教師がキャリア教育まで担当する、日本の学校は世界でも特殊

文部科学省は、「キャリア教育とは、一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義づけて、「幼児教育から高等教育にかけて体系的、かつ実践的に行うこと」としている。

中学・高校では、これに進路指導、つまり「出口の指導」が加わる。私自身、在職中、6回、卒業生を出したが、当然、この進路指導を行ったし、疑問をもったこともなかった。

でも、冷静に考えてみると、この記事にもあるように、諸外国がキャリアカウンセラーを置いていることからもわかるが、キャリア教育や進路指導は、実は「専門性を要する仕事」として成立するほどの分野なのだと言うことができる。

(話が逸れてしまうが)20数年前、「教育・福祉を学ぶ」という目的で北欧諸国を訪ねた際、スウェーデンの小学校でいじめが起こったときは、カウンセラーが「加害者」の対応をすると聞いて驚いたことがあった。曰く、「加害者」は自身が重篤な課題をかかえていることが多く、そのケアも含めての対応が必要だからということだった。これもまた、実は高い専門性を要する仕事だと言える。この例からもわかるように、生徒が「問題」を起こしたときも然りで、日本のように、教員が授業の合間をぬうようにして話を聞き、指導を行うというのは「異常」なのでは?と考えてしまう。

日本の教師の役割の特殊性

以上のように、日本の教師は、キャリアカウンセラーとかガイダンスカウンセラーなど、それだけで専門家として仕事が成り立ってしまうような分野を研修レベルの知識(すごく勉強されている方がいらしたら、すみません)と経験で担っていると言うことができる。

今でこそ、スクールカウンセラー(以下、SC)がいることは普通のこととなっているし、スクールソーシャルワーカー(以下、SSW)の配置も進められている。私が心理職として勤務している高校にはSSWの配置はなく、SSWの役割を担うことも多い。(話が逸れるが)対外的には、私は「専任のSC」となっているが、自身を心理職とよぶのはそういう意味もある。

特に公立の場合、SCは非常勤で何校も掛け持ちということが少なくないし、SSWは行政区ごとの配置で、まだまだ数が少ない。教師が、教育相談の中で、SCやSSWの仕事の範疇のケースを担っていることも多い。

教師のマインドセットの課題があるかもしれない

最近、「先生の多忙化解消」のセミナーに参加し、学校の業務改善に取り組む際の現状把握として「教員の負担感」も調査する必要があると学んだ。学校のブラック化で、部活動問題が取り上げられるが、部活動に対する負担感は、「熱心」に取り組んでいる場合とそうでない場合の差がとても大きい。「熱心」に取り組んでいる教員は、部活動の指導にある種の「やりがい」を見出しているのではないか、あるいは、部活動の指導を通して「自己実現」している部分すらあるのではないか。そうだとすると、例えば、「部活動は外部に委託する」となった場合、受け入れられるのだろうかと考えてしまう。

同様のことが、キャリア教育・進路指導、生徒指導にも言えるのではないかと考える。自分の経験からであるが、進路決定とか問題行動の指導とか、特殊なシチュエーションの中、生徒が自分のことを語り、ふと心が通い合ったように感じる瞬間がある。そう錯覚しているだけかもしれないが、この瞬間に「やりがい」を見出してしまっているところはないだろうか。

教師がこれらの業務にやりがいを感じている場合、「部活動の指導やキャリア教育・進路指導、生徒指導を専門家に任せる」となったら、果たして受け入れられるのか、とふと思う。

「教師の仕事は授業」となれるのか

今、必要に迫られて、高校における探究学習(探究的な学習)について、調べまくっている。高校では、22年度から新カリキュラムがスタートするが、授業準備だけでも、日々、大変な仕事量になると、改めて認識する。

今さら、私ごときが言うまでもなく、授業づくりは本当に奥深い。授業の中で、生徒が豊かで有意義な学びを体験できるようにすることに全力を傾けられるようになればいいと思うが、前述したこともあり、教師自身がそう考えることができるのかどうか、疑問に思うところがある。

なお、行事についての考え方は、ここでは省く。




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