思い出すことなど ①The Banality of Evil

アドルフ・アイヒマンをご存知だろうか?

また多くの人がブラウザを閉じてしまいそうな書き出しから文章を始めてしまった自分の人間性を嘆きつつも、やはりここ最近の自分の仕事を考えたときに、この書き出しが最も適切だと感じたのである。

アドルフ・アイヒマンは第二次世界大戦中のナチ党の高官である。

アイヒマンはユダヤ人の強制収容所移送を指揮した人物で、終戦後も南米に逃走していたが、イスラエルの諜報機関モサドに略取、逮捕されて死刑になった。

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裁判中のアイヒマン。

ユダヤ人虐殺の中心的人物だったが、哲学者ハンナ・アーレントはアイヒマンを「凡庸な悪(The Banality of Evil)」と呼んだ。
アイヒマンを含めたナチスの多くの人間は悪魔のような人物ではなく、思考や判断を停止し与えられた外的規範に盲従した人々だったということだ。
※このことは『アーレント』という映画になっているので興味ある人は是非。

命令やルールや慣習というものに盲従すれば、人々はどんな悪事でも行えるし社会は瞬く間に荒廃する。社会や権威がこれは正義だといえばどんなおぞましい悪事も正しい行いとして認識される。僕たちの身の回りにも学校でのいじめや同性愛者への偏見や選挙で投票する権利の放棄など「凡庸な悪」は社会に蔓延っているのである。これを防げるのは教養、もしくは宗教、そして勇気である。


7月末からオリンピックが始まった。オリンピックに合わせて緊急事態宣言は早々に解除され、国民に自粛を強いながらオリンピックを行うというイカれた矛盾の祭典が始まった。

結果として早々に感染者数は増加し、爆発的に増加した感染者は2021年8月現在も下がる気配を見せない。医療は崩壊し、多くの方が自宅で苦しんでいる。

マスメディアはオリンピックが始まるとオリンピックをお祭りのように報じたが、そうこうしている間にもどんどん感染者は増えた。

そして僕もオリンピックの報道に携わることになった。正直やりたくはなかったが、チームに入れられてしまったのだから仕方ない。せめて風刺となるような企画をとも考えたのだが、全て却下されてしまった。

オリンピック楽しい!という報道が間違っているかは分からない。この日のために練習に励んできたアスリートのことを考えれば、報道することは必要だとも思うが、伝え方やバランスの問題がある。少なくとも僕からしてみれば、オリンピック期間中の報道は明らかに国民の目線に沿ったものではなかったように思える。

結果的に僕たちのチームはオリンピックの裏で起こったことを面白おかしく伝える特集を作り続けた。その方向性で放送した結果、驚くほどの高視聴率を記録したので、僕の企画を却下して正解だったのだろう。

僕も組織で働く以上、方針には従わなければならない。報じ方が気に食わないとか、こんな企画やりたくないとか、そんなワガママは通用しないのは百も承知だ。そういう意地を通したければ、組織で高い地位につくとか、フリーになって仕事を選ぶとか、それが無理なら辞めるとかしなければならない。

とはいえ組織の方針だから、上から言われた仕事だったから、そんな理由で道義的に間違いとも思える仕事をするのはアイヒマンと変わらない「凡庸な悪」なのではないか。

特に僕の仕事は公益性というものがある。どんな情報を伝えるのか、どう伝えるべきかを誤れば、人の命を奪いかねない責任の大きい仕事だ。もしかしたら、僕の報道で感染者を増やしてしまったかもしれない。

僕がメディアの仕事をする上での矜持は

「思考を停止させるのではなく思考を促進させる伝え方を」だ。

今回それができたとは思えないし、本気で仕事を辞めようと思った。
こんな弁解も自己憐憫にしかならない。


僕個人の行動としては、今まで飲みにもよく行っていたけれど、しばらく控えようと思っている。僕はワクチン2回打っているのだが、周りに広めてしまう可能性はあるし、友人を入院させてしまった場合、迷惑かかるのは本人だけでなく、医療崩壊している病院にも多大な迷惑がかかる。

このような意識の転換は、呼吸器内科医の倉持仁先生の言葉によるもので、感染者増加による日本の医療の危機的状況に対して強い言葉で、しかし咎めるような口調で説明するのを受けてだった。

「基礎疾患のない20歳の方でも肺炎になり、入院できないでいる。歩くのも壁につかまり精一杯で食事も取れない。このような方が入院なかなかできないのに、オリンピックをやっているのは正直狂っていると思ってしまいます」
「この2人がおっしゃっていることというのは、国民にまっとうな医療体制を供給しませんよというメッセージだと思う。こういう人たちに国を任せては国民の命は守れませんから、2人とも至急お辞めになった方がいい」

こう強く熱弁する姿勢を見て、もう日本の医療現場は限界に来ているんだと感じた。

海外の報道で、病院の廊下に患者が並べられている様子や病院の前に車でたくさんの人が押しかけているが中に入れない映像などを目にしていたが、日本もその状況まで来ており、日本政府は家で寝てろと言い、国民が大人しく従ってるから目に見えてないだけなのだと思う。

政治家の矛盾した政策や市民を見下した言葉というものはなかなか受け入れ難いが、現場で働いている倉持先生や、分科会の尾身会長のような専門家の言葉というのは説得力がある。

なので、感染者が減り医療体制が整うまでしばらく飲み会は控えて、映画や美術館なども基本1人、せいぜい2人くらいまでで行動しようと思った。東京・神奈川・千葉・埼玉あたりの人は今まで通り行動していては感染は時間の問題だと思うので、自分のため以上に社会のために行動したい。

補償が不十分な状況なので、飲食店やイベント関連の仕事の人が営業・開催をすること、そこに行くことに関しては僕は全然咎める気はない。秋には選挙があるので、現状に不満がある人はちょっとでもいいから調べて選挙に行けよとは思っているが。


僕は僕の仕事によって凡庸な悪に成り下がってしまったかもしれない。本当に申し訳ないし、今後の自分についてはこれから考えていきたい。

皆さんも健康には気をつけて。
もう少し大丈夫になったらまた遊びましょう!

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