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日記

かにまめ⑪

自信が持てない~~~!!!!!!!

びっくりするほど自信が持てない、自信が持てないので人の意見と評価を鵜呑みにしてしまう、自分と自分の作品の関係が人の意見で変わってしまうのが嫌だ

私は描いていたとき確かに楽しかったはずなんだよな、自分のことを天才だと思ってるので。描いてる途中はプラスのことしか想像しないから楽、この色が最高で顔が可愛くて天才、誰かの手に渡るかなだとか褒めてもらえるかなとかめちゃくちゃ伸びるかなと思ってるんだよな 
もうこの時点から評価を重視してる気がするけど

人の意見を聞くと私の絵が私の絵じゃなくなってしまうような感覚、箱入り娘のお披露目のような
絵を他人の目に触れる場所に出すと他人の中で他人の目と価値観の元に私の絵が解釈される、そのことを普段を気にしないけど1度意識してしまうとすごく辛くなってしまう、私はね

私の絵は私のものなんだけど、評価が悪かったりすると私自身も私の絵に悪い評価をつけてしまう
絶望しかないな

私は私の絵が好きで、周りに合わさずにこのままでいいと強く強く思えたらいいんだけど。
この「周り」が、今まで聞いた意見とかがごちゃごちゃにされた自分の中の「普通」像で実際には明確に存在してないしなんの力も持ってない虚像だというのがなんとも虚しい。何てものに狂わされてるんだ私は。

このなよなよとした現状が自信のなさから来るものだと思ったので自信が欲しいというわけです。あと何かを始めるときの勇気と5000兆円も欲しい

無知であると周りがどうだとか知識がどうだとか社会がどうだとかそういうことを気にしないので楽なのかもしれないと思う、私は私のわからないところでしっかり無知だということは自覚しないといけないけど

何も考えず絵を描いてわぁ楽しい、っていう感覚がずっとずっとあってほしい。1年前はまだあった気がする、無駄ではないんだろうけど知識を付けすぎた。最近は描いてる途中にも自分の中の「周り」が小言を言ってくる。ほんとなんなの「私の中の周り」って。この虚像、矛盾がすごいわ

虚像と喧嘩して勝てるようになりたい
もう労力の無駄遣いって感じが文から滲み出てる

あ、あれか 集中すればいいのかもしれない。没頭してるときは虚像の声も聞こえないかもしれない。というか聞こえない、それでも聞こえたらさすがに虚像に力を入れすぎだと思う、虚像なのに


途中で

そもそもなんで絵を描いていたのかとかそういうことを考え出してしまう、描くもののために資料をきちんと見てデッサンしてっていうのを脳内で反芻しすぎて、今何か資料を見に行ったほうがいいかと考えているのは自分の意見なのか人の意見なのかわからなくなってしまった 大混乱ですね

とか書いてたんだけど、私は
私の中で納得ができたことは私の意見、それ以外は人の意見、人の意見は私の中だけではどうとでも処理して大丈夫
って納得していたので、私が見に行きたければそれは私の意思。私は人の意見に納得をして今その考えに至ったんだから私の意思だ

人のことを気にしすぎだ~~
人の意見なんざ私が生まれて言葉を学んだときから触れまくってそれで私が形成されてるんだから今更気にしても無駄だよ~~!!!!
私として固まった部分はもう気にならないのに新しく私の中に入ってきた部分はどうしても気になってしまうな、異物なのかな……?
あとこの「私として固まった部分」はほじくったり外からの見え方を人に聞いたりするのが楽しかったりする。
新しい意見を異物と認識してしまうのはあまりよろしくない気がするな、これも人からの受け売りだけど。

私の言う人の意見に惑わされたくないっていうのは、言葉としては人の手のひらの上で踊りたくないっていうのが近い。よく周りの人の手のひらでクルクルされてる感覚になるから。

でも私のことを手のひらで踊らせられるというのは、それだけ私について理解があるということだから(人によっては私自身よりも圧倒的に)、私は幸せ者なのかもしれない。クルクルされてると気づくと笑えてくるような苦笑いのようなよくわからない気持ちになるのはあれだけど。


文章を書くと世界が変わって見える。落ち着いて考えがまとまって、答えが見えてくる気がする。
今日は夜にやったけど朝とか昼とかにやると恩恵を長く受けられていいかもしれない。とにかく悩んだときとか作業が止まったときにすぐやってみるのもいいと思う。上手く付き合っていきたい。

あイラスト!イラストのタグ付けてるけど今日は表紙だけ……
いやあるな、あったわ 途中のやつとかだけど
置いとこう世界に

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うーん腹の肉を気にしないとペラペラ……気にしてるのはぽっちゃりしてるな…… なんか線足りん気がする

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今日の表紙の。リボン