読書(笑)

 イスラエルと、イスラエルの蛮行に加担・擁護する人間や組織に対してきちんとキレられるように、若い衆には今のうちに本を読んでおいてほしいというのが切なる願いというもの。

 本を読むというのは、「今ここにないもの」に対して想像力を働かせるというただそれだけの行為であり、またその行為を円滑におこなうための筋トレに過ぎない。問題は、なぜ筋トレをする必要があるのかだ。

 ぼくは読書のことを文学である以上に社会学であると捉えているし、これは当たり前すぎる話だが、すべての学問の骨子を作る行為であると思っているので、それが最終的な「学」に繋がらないなら、やはり意味を感じないのだ。娯楽小説は、それを読んで「はははおもしろいな」と言うだけで構わないのだが、はははおもしろいなと言い続けているうちに、いつのまにか筋肉が発達していなければ、そこに異議はない。

 こうした願いは、現実のジェノサイドに興味を持たない人間に育つようならば、読書などという行為に社会的な意義は特にないだろうという思想のあらわれなのだが、人生とはこうした表裏の判然としないコインに、それでもどちらかであると信じて賭けねばならないことが多々あるので、思想そのものを詰めても仕方がない。結局、表裏はわからないので。

 ただ、おそらくはこちらだったと妄信しながら死ぬのみである。

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