どこまで書いたっけ
忘れたから前記事見返した。ああ、ネカフェ生活んときか。
その後どうしたかって?
うん。流石に電車のタイヤで私が挽肉になって、誰かの時間を潰すのは癪だと思って卒論担当の先生に家出した事を白状したよ。
内緒にしてたの。テッテレー家出してましたーって卒論書き終わった後に言うつもりだったからね。
結局誰かに頼る形になったわけだわ
いくつか機関を紹介された。
ウィメンズネットとか千葉とか東京のやってる事業だとか。
その中でひとつだけ異色なものがあった。
それがNPO法人bond project
なんだこりゃ?と思った。なんも知らんかったからね。
とりま、当時の私は行政に頼るのが1番だと思ってウィメンズネットに連絡したわけ。
答えは簡単。「bondさんを頼って下さい。貴方は21歳なので。成人してるから」と。
後から聞いた話、スタッフさんにウィメンズネットがなんもしないのが悪い。本来行政がすべきことなのにこれは押し付けだーって言われた。
まあ、20過ぎた女なんてそんなもんかって思ったよ。
初めてシェルターに行ったあの日のことはよく覚えてるよ。渋谷の夜。
コロナ禍の前。着てたのはボタンの外れた緑色のワンピ。待ち合わせ場所は忘れちまった。
正直、叱られて家に返されるのかと思ってた。
でも答えは違ったわけで。
何も言わずに事務所に招いてくれた。そして、ネカフェ生活だと身が持たないことを話すとその日のうちにシェルターへ招いてくれた。
内臓を売られても殺されてももう本当にどうでもよかったんだと思う。
なんもほぼ自分のこと以外喋れないまま着いて行った。
次の日人の作ったご飯を食べただけで泣きそうになったっけ。懐かしい感覚だ。
そして、そのbondがどんな活動をしているのか興味を持って調べた。
あの時は本当に泣いた。なんで今までここの団体に来る女の子たちが経験したこんな凄惨な世界を知らなかったんだろうって。どうしてもっと知ろうとしなかったんだろうって。
後の祭りだし、たられば話だけどさ。
作り話だろって思わないのかって?浮浪してた私を拾ってくれた人にそんな感情は抱かなかったし、もう4年も付き合いがあるが全部ノンフィクションだ。私だって一応色んな子いたの見たから
それからは頑張ろうと思った。
人の痛みを理解できるようになりたいと思った。
これもまた懐かしい思い出。
誓って言うが、私は誰かの心の傷を完治させたいわけでも誰かを哀れんでるわけでもない。
ただ、その人がいつか、いつか笑ってくれる事を、その人の人生が少しでもいい方向にいくことを願ってるだけだ。
その為には何かしないといけない。それを今考えてるところだ。
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