やはり実践は学校では学べない
最近、小中学校では英語や国語の授業で、
座学の板書スタイルだけではなく、
生徒間同士の議論や、ディッスカッションを交えたカリキュラムが組まれている学校も増えたと思います。
そのカリキュラムの方針の所を読んでみると、
生徒の主体性を身につける、
論理的思考力や知識の自在性、創造性を高める、
自分の意見を持てるようになり社会で発揮できるようになる、
生きる力を育てられるなど数多くのことがが
書かれています。
これだけを聞くと、学校で創造性を高められるならそれは大層な話だなとは思います。
でも一方、???が頭をよぎることもあります。
知識を骨抜きにして、応用力や創造力を伸ばそうとしても意味はないんじゃないかという単純な考え方です。
また、座学を減らし、ディスカッションの機会を導入したからといって、学校の生徒が本当に創造性が高まったのかという事実もあるのか疑問です。
そもそも、学生時代は大人しく座学の勉強をしておけばよくて、応用や創造性といった大掛かりなことは、卒業後に個々人が社会でそのまま学べばよくないかというのが、私の考えです。
わざわざ狭い学校という世界で実践できるものではないと思うからです。
ヒュー・ミラーという学者がこんな言葉を残しています。
「わたしが唯一正しい教育を受けたのは、世間という学校である。そこでは艱難貧苦という厳格で高貴な教師に巡り合った。」
やはり、狭い学校で世界を学ぶことは難しいと考えます。
それよりも大切なのは、ヒュー・ミラーさんがいうように、個々人の出会いこそが自己修養に大きく影響すると思うのです。
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