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速読術が不要な理由

こんにちは。ランランです

よく速読をするメリットとして、
速く読むことで選りすぐりの良書を得られるといったことがいわれます。

たくさんの本を速読することで、
"この本はいい。この本は良くない。"
と大方選別できるようになるので、

良書に対しては、その分じっくり時間をかけられるというわけです。

しかし、この速読術がなくても、今の時代は良書に辿り着けると思います。

ネットがあるからです。

今回は、速読がいらない理由についてあげてみたいと思います。

速読しても大して量を稼げない

仮に速読ができたとしても、大してそれほど多くの本を見ることはできないと思います。

たくさんの本を読み続ける事によって究極の一冊を見つけ出そうとすることが土台無理な話です。

日本で最も大きい国立国会図書館の蔵書数は現在770万冊といわれてます。

この770万冊のうち最もあなたに合っている究極の1冊が眠っているといわれたら、

もちろん、誰しもその1冊に出会ってみたいと思うでしょう。

しかし、残念ながら一生のうちにそういう本に出会うことはまずないでしょう。

確率的に宝くじを当てるより遥かに難しいからです。

たまたま目についた本を手にとっていただけの人ならなおさらのことでしょう。

計算上、1日10冊読めたとして、770000日(≒2109年)かかります。

仮に50年速読を続けられたとしても、182500冊が限界で、まだ7517500冊残ってしまいます。 

いくら速読をマスターしたからと言って、奇跡の1/7700000冊を見つけるために本当に速読し続けるのでしょうか。 

自分に合った究極の本などそもそも見つかるわけがないのです。


速読よりも大切なこと

私達がその中で何をすべきかは、究極の1冊は見つけられないという前提で読むことからスタートすることだと思います。

究極が無理なら、2番手となる準良書なら多く探せるかもしれない。

自分を上手くプロデュースするには、準良書を精読することが結局は近道なのです。

誰かが勧めた本は必ず読むようにする

準良書とはどんなものでしょうか。
評判の良い本です。

自分が尊敬する人が読んでいる本や、ベストセラーになっている本はとりあえず読んでおくのを心がけると良いと思います。

もちろん、その中で全く読めない、何が面白いのか分からないという本もあるでしょう。

それでも、今の自分には理解できない、悔しいという気持ちがさらなる知識欲につながることはあります。

読めない本は一旦閉じ、読みやすい本から読んでいけばいいのです。

誰かが勧めてくれた本はよい知識源になることは多いです。

自分が今まで気づかなかったことの発見や、既知の習得の手助けとなるのです。

下手に速読をして自分一人で良書を見つけ出そうするより、ネットや周りの集合知の力に任せた方が遥かに正確な選別ができるのです。

そして、速読がいらないもう一つの理由は、一度良書を見つけたら、熟考しながら何度も読む時間にあてたほうがよいからです。

速読に時間をかけていると、良い本を探すことに時間をかけてしまいます。

また、仮に良い本に出会っていても、それに気づかず再読する努力を怠る懸念があるのです。

下手に速読ばかりに時間を当てたことで、結果的に消化不良のまま、ただ読み漁っただけに終わってしまいます。

そうなるくらいであれば、最初から良本はネットなどでそれとなく知っておき、何度も繰り返し精読したほうが得られるものが大きいでしょう。


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