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攻殻機動隊

稲見昌彦 (東京大学 先端科学技術研究センター / JST ERATO 稲見自在化身体プロジェクト)

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士郎正宗 著
全3 巻(講談社KC デラックス刊)
講談社(1991),347 p.,971 円+ 税,ISBN:978-4-06-313248-9(1 巻)

※本記事のPDFは情報処理学会電子図書館に掲載されており、情報処理学会会員は無料で閲覧できます。(http://id.nii.ac.jp/1001/00197667/


本書との出会い

 もしタイムマシンがあるなら,「そのマンガは,君の人生を劇的に変え,いつか『実は私も攻殻大ファンなんです』と初対面の方からあいさつ代わりに言われるような日々が訪れることになるよ」と23 年前の自分に伝えたい.

 幸い当時の私は,タイムマシンがなくとも当時所属していた研究室の前田太郎助手(現大阪大学教授)から,所属して早々「私と議論したければ,まずは『攻殻機動隊』をよく読むように」と必修図書として押井守監督による劇場版アニメとともに渡された.まずは専門書や関連論文をドサッと渡されると思った私は,原作マンガにミッシリと書き込まれた脚注に戸惑いながらも何度も読み返した.

ネットとナノテクノロジーのサイバーパンク

 本書は今から10 年後,2029 年の“企業のネットが星を被い,電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない近未来”の日本が舞台となっているいわゆるサイバーパンクものの漫画である.しかしながら著者自身があとがきで“もとより日本ではSF よりも「街にあふれるハイテク商品」の方が主流であり,サイバーパンクブームという言葉だけを後から輸入して表層に貼った感がある.”と述べているように,本書が出版された平成初頭のガジェットがちりばめられている.たとえばガルウィングの自動車に自動車電話やカーナビゲーションシステム,さらに1989 年に「バーチャルリアリティ」というキーワードとともに登場したVPL リサーチ社のRB2 に用いられたデータグローブと同様の光ファイバを用いたセンサ.また,垂直離着陸機,多脚戦車などの兵器も高いリアリティをもって描かれている.

 そして,これらの近未来のハードウェアガジェットやネットと並び,ナノテクノロジーが大きなカギとなっている点が本SF の特徴となっている.Kim
Eric Drexler による1986 年の著書『Engines of Creation : The Coming Era of Nanotechnology』(邦題 : 創造する機械 ─ナノテクノロジー)以降ナノテクは当時大きく注目された.実は私はその『創造する機械』の翻訳者である東京工業大学生命理工学部の相澤益男教授(当時)に師事しており,当時のナノテクと,それらが生物とのインタフェースとなる新たな研究領域の熱気を肌で感じていた.

 本書はそういったナノテクノロジーが発展し,生物と人工物とか高度に統合された電脳や義体(サイボーグ)がネットにより相互接続された未来社会において,「少佐」と呼ばれる内務省所属主人公「草薙素子」を核とした物語が展開される.先行する作品の『アップルシード』や『仙術超攻殻ORION』なども同様に女性が主人公のSF であるが,それらの作品と比較し,より群像劇を重視した設定も特徴の1 つであり,それが物語の奥行を広げている.

練られたテクニカルターム,そして光学迷彩

 さまざまなテクニカルタームが登場するのはSFの常ではあるが,本書に登場するタームは背景技術を想定させ,エンジニアの想像力を刺激する点で一線を画している.どなたか知り合いの研究者が技術アドバイザーとして入っていたのではないかと疑うほどである.

 たとえば作中に登場する光インタフェースに用いられている生物発光物質のホタルルシフェラーゼやルシフェリンも私が学んだバイオ系のラボでバイオセンサとして普通に用いられていた.“部分サイボーグは「人間の能力を補う」全身サイボーグは「人間以上をつくる」”という議論もまさに私が専門としている人間拡張工学の分野で議論されているテーマである.車輪のついた多脚移動体「フチコマ」は東京工業大学遠藤玄先生により「ローラーウォーカー」として一部実現している.

 そして,私の人生を変えたキーワードが「熱光学迷彩」である.もしこれが「透明マント」であったならそのまま気にとめず読み流していたであろう.透明でなく迷彩としているところで,SF 映画『プレデター』(1987)に登場した光線を曲げることで透明化するような,現在ではメタマテリアルを用いて盛んに研究されている手法とも違い,私が専門としているディスプレイ技術の延長で実現できる可能性を朧気であるが考えた.

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 本書を読んで2 年半後,博士課程の学生であった私と同期の川上直樹(故人)は拡張現実感のために再帰性反射材を用いた投影型立体ディスプレイの研究をしていた.開発したシステムを国際会議にて実演展示するにあたり,体験待ちで並んでいる方々のために,同様の原理を用いた余興を考えていたところ,物体を空間中に提示するのでなく,背景映像を立体的に提示することで同技術はまさに本書に登場する「熱光学迷彩」を部分的に実現できることに思い至り,一晩で試作品を作成した.国際会議当日は当初の展示のメインであった立体ディスプレイでなく,余興として作った光学迷彩の方が大行列となったことは言うまでもない.

 余談ではあるが,我々はまさにSF である本書をヒントとして光学迷彩を作成したが,その後我々の実装がフィクションのリアリティを高めるためのキーワードとして用いられるようになったことはフィクションと現実との相互作用を考える上で興味深い.私の知るだけでも,『ゴルゴ13』第447 話「カメレオン部隊」(2004),映画『アベンジャーズ』(2012),『アイアンマン3』(2013)などにも「再帰性反射材」というキーワードとともに登場している.将来それらの作品を観た若者が新たな技術を用いさらに研究を発展させることを期待したい.

ゴーストと身体論

 さて,本書の英題は『The Ghost in the Shell』であるが,これはArthur Koestler 著の『The Ghost in the Machine』(邦題 : 機械の中の幽霊)に由来し,この書籍に登場する概念“ホロン”が本書の主題の1 つである“ゴースト”につながっていると言われている.では,ゴーストとはいったい何かという点は多くの読者と同様私も疑問に思った.プロダクションI.G の石川光久社長を介して著者の士郎正宗氏に疑問を投げかけたところ,まさにそのゴーストとは何かを物語を通して考え続けること自体がこの作品のテーマであるとの返事をいただいた.

 確かに作中でも“疑似体験も夢も存在する情報は全て現実でありまた幻なんだ…”とあるように荘子の『胡蝶の夢』を彷彿させる台詞や“脳みそ自分で見たわけじゃないのに? 周囲の状況でそうだと判断しているにすぎないのに?”といったリアリティとその裏返しとしての自我の幻影性を“哲学的ゾンビ”の議論のような会話を通して読者に語りかけている.素子が男性型義体を用いるシーンは,バーチャルユーチューバーやVR チャットなどで性別を超越したアバターを用いてコミュニケーションをする人々が普通になってきた現在,もはやフィクションの世界でなく,自身の体験として心と体の相互作用について考えるきっかけにもなろう.この新たな身体と心との関係性は,私が今推進している“自在化身体プロジェクト”におけるリサーチクエスチョンの1 つにもなっている.

開かれた世界観,そして攻殻機動隊REALIZE PROJECT

 本書は著者自身による『攻殻機動隊1.5』,『攻殻機動隊2』,『紅殻のパンドラ』などのコミック作品だけでなく,押井守監督,神山健治監督,冲方丁氏らによるアニメシリーズや映画,ハリウッドによる実写映画などさまざまな関連作品が制作されている.これは著者自身が関連作品に寛容なだけでなく,作品自体のコアな魅力とクリアな世界観に拠るところが大きい.さまざまな関連作品として世界に拡散する攻殻機動隊の世界観こそが素子のゴーストなのかもしれない.

 本作は近未来SF でありがちな単調なディストピアものではない,著者自身もあとがきで“電気→コンピューター→マイクロマシニングと,黙々と前進を続ける科学に対しSF がいつまでも世紀末的な倦怠世界ばかり描いてもいられないだろう.未来は明るい方がいい.”と述べている.この明るさこそが世界の技術者,研究者を魅了した点であろう.

 現在,本作品に影響を受けた技術者,研究者たちが集い「攻殻機動隊REALIZE PROJECT」が結成され,さまざまな取り組みが行われている.この場をお借りし,本書には心から御礼を述べたい.今の私があるのは『攻殻機動隊』のおかげである,と.

 最後に原作最後のこのシーンを引用しつつ,締めたい.“ネットは広大”である,そして“攻殻は深遠”である.

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(「情報処理」2019年7月号掲載)

■稲見昌彦(正会員)  drinami@star.rcast.u-tokyo.ac.jp
 1999 年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了.博士(工学).電気通信大学教授,慶應義塾大学教授等を経て2016 年より東京大学先端科学技術研究センター教授.2017 年よりJST ERATO 稲見自在化身体プロジェクト研究総括を兼任.博士課程在学中に『光学迷彩』を開発.本会代表会員・会誌編集長.

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